犬食い文化

私の母は佐賀の生まれだった。今でも実家は同じ場所に家を建て替えて、伯父の跡継ぎが住んでいる。

夏休みになると毎年のように汽車(本当にSL)に乗って泊まりに行ったものだった。

すると変な話を聞いたことを、この歳になって思い出した。

『アカ犬は食べられる』と言うのだ。犬を食べると聞いてぎょっとした。ただ、アカ犬という種類に限ってのことだとそんなふうに言っていたので、どんな犬だか見てみたいとは子供心に思ったものだった。

だが、とうとう『アカ犬』の正体はわからず仕舞で、長崎にはそもそも犬を食べるなんて習慣はなかったので、そのうちに忘れてしまっていた。



母があるときぽつりと言った。『猫は身を冷やすから食べちゃいけないんだよ』。

どんな会話の際にそんな話になったのかは覚えていないのだが、クルマにはねられて道路で死んでる猫なんかを見るたびにあの話を思い出していた。

身を冷やすと知っているってことは、食べた人がいたということだ。

佐賀の人は犬やら猫やらを食べたりしたのだろうか。ひょっとしていまだに食べてはいないだろうか。




最近になって韓国の食文化で犬を食べるということが問題になっている。

もっとも殺し方に問題がありそうなのだが、どれを「食材」にして、どれを「食材」にしないかは、それぞれの国や民族の文化だから、他者がとやかく言い過ぎるのは良くない。

寄付金を集めたいだけのために日本のイルカ漁を批判する団体もいるし、カタツムリを料理する国もある。

土地によったらワニを料理したりするし、ヨーロッパで問題になった馬肉も日本では当たり前のように食べている。

クジラとイルカは同類で食肉としての区別がないらしく、鯨肉として流通しているうちの何割かはバンドウだったりゴンドウだったりするらしい。

飼育方法や屠殺方法に問題があるのはそれぞれ違うとしても、どれを食材にし、どのような調理法をとるかは原則的に民族ごとの文化であって他から非難すべきことではない。




では、飼育方法や屠殺方法に問題がある場合は、それは単独のものではなく、価値観や宗教的な部分が複雑に絡んでくることになる。

仏教では原則的に殺生を禁じていたし、イスラムでは豚を食べない。牛を聖なる動物とするのはインドだし、中国人が食べない「四本足」はテーブルだけだという話もある。

香港の市場で、羊の胎児が売られていたのを見た時には、吐きそうになったこともある。

動物保護団体が、スペインの闘牛で牛を殺すのは残酷だとして「やめろ」とするデモをおこなったとか。これは殺し方が問題なのではなく、強い動物に挑む人間の勇気を示す戦いの文化なのだろうと私は思っている。

何でもかんでも「動物を殺すな」と言うのでは、いささか幼稚に過ぎるのではないかと思う。

だったら殺虫剤は良いのか、カビキラーは許されるのかという議論に発展するのではないか。スズメバチの巣を駆除しているのを見て、動物保護団体は何と思っているのだろう。

あまりにも自分の価値観を相手に求め過ぎるとどうなるか、戦争だ。他の宗教を絶対に認めないのはS学会だ。

アメリカ人はいまだに日本への原爆攻撃を正当化している。韓国人に「犬を食うな」と言っていることと、根本的には共通している。

相手の価値観は最大限に許容しなければならない。

ただし「苦しめて殺した方が美味くなる」という価値観は非難されてしかるべきだろう。儒教が長かった国は、価値観に狂いを見せているらしい。



スポンサーサイト
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR