常識は進化する

あるテレビ番組を観ていたら、最近の若い人たちは「メリケン粉」という単語がわからなくなっているということを知って驚いた。

中高生だけにしか許可されないSNS管理者が「カセットテープとか今の中高生が知ってるはずがない」として利用を停止していたとか。

「メリケン粉を知らない」ことに対して驚いたが、逆に「カセットテープなど知るわけない」と断定するレベルの低さにも驚かされた。

「知る」こととは確かに時代の流れとともに変化してゆく。それは否定しない。

作曲家だった團伊玖磨氏は自身のエッセイ集『パイプのけむり』の中で「オートクチュールという聞き慣れない言葉を最近耳にした。私はオウ・トクチュウという中国人の名前だろうと思い違いしていた」というくだりを書いていた。

ホットケーキがいつの間にかパンケーキになり、ランニングシャツがいつしかタンクトップに変化した。ジーパンはジーンズに。

意地を張って古い呼び名を使おうという考えはない。時代の変化には最低ラインで最後尾からノロノロとついて行こうとは思っている。必要がないから「チョー気持ちいい」とか言わないだけだ。




さて、この時代の流れによる言葉の変化はある程度寛容に受け入れる必要があると思うのだが、歴史認識は変えるべきなのか変えざるべきなのか。

「勝者が歴史を作る」と古くから言われていて、「歴史イコール真実」ではないことは人類の誰もが知ってはいることだが、では「真実はこうだった!」と誰かが言い出すと必ず白い目で批判する者が出て来る。「歴史修正主義者」だとか言って。

言ってみれば、「歴史」と北方領土や竹島のように「実効支配」していることがつながっているように見える。

だから南朝鮮の少女像にしても中国の南京虐殺祈念館においても、真実かどうかが問題なのではなく、既成事実として「実効支配」していればやがてそれが「歴史」になってゆくことを企んでいるわけだ。




なぜこんな話を始めたかと言うと、8月31日付けの産経ニュースにこのような記事が出ていたからだ。

見出しはこうだ。『習近平氏が「日本の暴行あばいた」と称賛した英国人記者、「南京事件」の現場に居合わせず 在職記録もなし』

エリザベス女王主催の公式晩餐会の席上、習は「第二次大戦の際、記者として侵略者日本の残虐行為を暴く記事を発表した」として英国人のジョージ・ホッグ氏を紹介した。

(引用ここから)

中国は2008年にドイツなどと合作で、ホッグ氏を主人公にした映画『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥(はる)かなる希望の道』を制作した。

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この中でホッグ氏は赤十字職員と偽って南京に入り、中国市民を殺害する日本兵を写真撮影。日本兵に見つかり処刑される寸前に中国共産党の軍人に助けられる。しかし、映画の原作となった『オーシャン・デビル』を執筆した英タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏は、「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で、彼は南京に行っていない。映画は脚色され、事実ではない」と証言した。中国側が主張する「南京事件」は日本軍が南京を占領した37年12月13日から6週間程度。2月に上海入りしたホッグ氏が目撃するのは不可能だったというわけだ。ホッグ氏は大学卒業後、英紙マンチェスター・ガーディアンやAP通信の記者を務めたとされている。ところが、産経新聞が後継紙である英紙ガーディアンに問い合わせたところ、ホッグ氏の署名記事はもちろん、在職記録もなかった。AP通信やUPI通信には署名記事はあったが、紀行文などで、「日本軍の虐殺行為を暴いた」という署名記事は見つからなかった。

(引用ここまで)




こういう話がある。『「時代劇」と呼ばれるものがある。これはその内容の大部分が脚色で作られたもので、水戸黄門や暴れん坊将軍の類だ。これに対して「歴史ドラマ」というものがある。NHKの大河ドラマのようなもので、あまり史実に基づかないような場面設定は視聴者からクレームを付けられるので慎重に作られている』。

それからすると、従軍慰安婦強制連行とか南京大虐殺などというものが「歴史ドラマ」ではなく「時代劇」としてプロパガンダに使われたのではないかとする検証が徐々に進められている。

和歌山の太一町でおこなわれたイルカの追い込み漁を盗撮ドキュメントのように作られた映画作品『ザ・コーヴ』がアカデミー賞を取った。

韓国は従軍慰安婦強制連行をテーマにした映画『鬼郷』は韓国で2週間連続の興行収入トップになり、中国や米国・英国・カナダなどでも上映された。

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中国が南京大虐殺を英国人の目から描いた『チルドレン・オブ・ホァンシー』を作ったことと何も違わない。

『ザ・コーヴ』は編集段階で時期も場所も違う画面を入れ込むなどといった加工が施されていたことが後になって判明し、「アカデミー賞の権威に泥を塗る行為だ」と非難された。

韓国は王朝の交代ごとに、ことごとく自国の歴史を焼き払い続けて来たことから何が正しい歴史なのかをいまだに知らず、「慰安婦狩り」という吉田の作り話に乗ってしまった。その作り話の延長上に『鬼郷』があるのであって、まだ「暴れん坊将軍」の方がマシだということになる。少なくとも実在した人物なのだから。

「水戸黄門」を観て「へえ、江戸時代の悪代官は全国にいたんだ」と真に受ける日本人はさすがにいない。しかしイルカ漁や従軍慰安婦や南京の虐殺などの「創作映画」を観た英米中韓の人々は「へぇそうだったんだ」と真に受けてしまう。それがプロパガンダの目的なのだから。

しかし映画『チルドレン・オブ・ホァンシー』の原作となった『オーシャン・デビル』の著者であるジェームズ・マクマナス氏が「映画は脚色され事実ではない」と証言しているように、これらのウソっぱちは徐々にボロを出しつつある。すでに『ザ・コーヴ』のつぎはぎが暴露された。残るは『鬼郷』だ。

こうした、彼ら(中国韓国人)の常識が、やがて日本における「メリケン粉」になって行くのだろうか。

世界は確実に変化している。常識とされるものも、必要に応じて変えてゆくべきものなのかも知れない。

教育はどうだろう。憲法はどうだろう。歴史や常識はため池に溜まったよどんだ水なのか、それともさらさらと流れゆく川の水なのだろうか。





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