『植民地』とは何か

太平洋にあるグアムが、なぜアメリカの領土なのかと疑問に思った。B-52、B-1、B-2などの戦略爆撃機が集まっているとして「開戦前夜」を意識させる島だ。

そこでいろいろと調べてみたら、もともと東南アジア系民族がカヌーで渡って来たことから始まっている。それは紀元前3000年から紀元前2000年ころのことだった。

彼らはチャモロ人と呼ばれて、インドネシアやフィリピンから移住して来たと考えられている。

16世紀になり、ポルトガルのマゼランが島をみつけ、1565年にはレガスピが訪れて領有を宣言する。つまり植民地化したわけだ。日本は永禄年間であり時の将軍は足利義輝で徳川家康が三河を統一した頃のことだ。1565年にはポルトガルのカトリック宣教師、ルイス・フロイスがイエズス会士として来日し将軍に謁見している。

1668年にはスペインの同じくイエズス会のサン・ビトレスらが布教活動のためにグアムを訪れる。チャモロ人らの伝統的な生活文化や習慣が祖霊崇拝に基づくものとして宣教師が厳しくこれを禁止し、不満を持った原住民と闘争に発展(スペイン・チャモロ戦争、1669年)する。

キリスト教に反抗的な村はすべて焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5千人以下に激減する。イエズス会の正体がわかろうと言うものだ。

19世紀末の1898年(明治31年)、大航海時代に築いたスペインによる世界各国の植民地支配が徐々に支配力を落とし、南北戦争を終結させたアメリカ合衆国がキューバや南太平洋のスペイン領を攻撃する(米西戦争)。これによってスペイン支配に虐げられていた住民らはアメリカを応援して独立を目指すが、スペインが敗退するとアメリカが領有権を主張したために今度は住民の独立運動はアメリカに向けられる。

キューバはゲリラが成功するがフィリピンやグアムは独立に失敗しアメリカ領となる。アメリカもまたスペイン同様に現地の風習・文化を無視してアメリカ化を進める。

1941年、日本海軍は真珠湾攻撃の5時間後にグアムへの攻撃を開始し同年12月10日にはアメリカ軍を駆逐しグアムを日本領土とした。日本による占領はアメリカ軍によって奪還される1944年8月(終戦の1年前)までの2年7か月に及んだ。

この2年7か月の間に日本軍が使用していた航空基地をアメリカ軍が拡張し、日本本土への爆撃拠点とする。この基地が現在のアンダーセン空軍基地であり、ベトナム戦争時にはB-52の前線基地となっている。




こうやって見て来ると、スペイン・ポルトガルに続いてアメリカという白人文化がアジアやカリブ海の島々を気が遠くなるような期間植民地にし続け、カトリックを強要し、それに従わない原住民をイエズス会の名のもとに殺戮して来た歴史がわかる。

そのイエズス会はしっかりと日本にも触手を伸ばしていた。

フィリピンはアメリカ領、インドネシアはオランダ領、インドはイギリス領、そんなのばっかりだ。

誰の狙いによるデマゴーグなのかは知らないが、イスラム教がとんでもなく危険な宗教のような風潮があるが、こうした植民地支配によって原住民を殺戮し続けたのはカトリックなのだ。

現在オリンピックが開かれている南米だが、なぜスペイン語とポルトガル語しかないのかと言うと、やはり侵略者によって次々と殺され、焼き払われたからだ。

インカやアステカの文明が無人化したのも、ヨーロッパ人によって略奪されたからだ。

イエズス会はカトリックの名のもとに強奪と殺戮を繰り返した。その総本山がバチカンである。

元教皇だったポーランド出身のヨハネ・パウロ2世はこう言い残した。『暴力と武器が人間の問題を解決することは決してない』。

それは世界に向かって言うのではなく、カトリックの歴史に対する反省として身内に向かって言うべきだ。

南太平洋で水爆実験をやったフランスは、タヒチを含むポリネシアをいまだに領有していて、それと同じことがアメリカのグアムでもある。

イギリスとアルゼンチンが戦争したのはフォークランド島だった。

か弱い母子家庭にAというヤクザが乗り込んで来たが、それを追い払ってやるからと現れたBという警察官がそのまま居座ったかっこうだ。

西洋諸国の白人文化は、16世紀の頃から成長を見せていない。



植民地とイエズス会はセットになっている。覇権争いのためには、宗教という口実がもっとも便利だからである。





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