なぜ桜なのか

ちょっと長い話になりそうなので、ひとまずこれを観て頂きたい。

『太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男』という映画作品のクライマックスのシーンである。



このシーンで日本兵が隊列を作って歌っていたのが『歩兵の本領』という軍歌である。

歌詞の一部を変えて、現在の陸上自衛隊歩兵普通科においても歌い継がれている。

『万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵戔(さんぺいせん)の花と散れ』

この歌は1911年(明治44年)に時の帝国陸軍第十期生だった加藤明勝が作詞し永井建子が作曲した軍歌『小楠公』がベースとなっている。

私はこの曲の歌い出しで『花は吉野に嵐吹く』という部分がひどく気になった。

日本の自衛隊と言い警察と言い消防と言い、およそ敬礼をする組織のほとんどが桜をシンボルにしている。

そのこと自体がとても当たり前すぎる事柄だったために疑問にすら思って来なかったのだが、どうして『桜』なんだろう。

そしていつから『桜』なんだろう。

調べると『歩兵の本領』に行き着いた。明治維新以後日本には初めて国軍と呼べるものが誕生した。それまでは幕府軍であり、それは徳川の軍勢だったに過ぎない。

それは良いとしてなぜ『花は吉野に嵐吹く』となる必要があったのか。

吉野と言えばすぐにピンと来るものがある。南北朝の頃の後醍醐天皇が開いた南朝が奈良の吉野だった。

そしてこの『歩兵の本領』という歌の元になったのが『小楠公』だったということも明らかになった。

楠と言えば楠木正成(くすのきまさしげ)のことだ。


言わずと知れた後醍醐天皇の側近であり、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに活躍したが、のちに尊氏の裏切りによって湊川の戦いにおいて新田義貞らとともに敗北し自害して果てた人物だ。

この時、鎌倉幕府からは悪党呼ばわりされた楠木だったが、なぜか明治時代に入ると『大楠公』と称されて明治13年には正一位を明治政府から贈られている。

つまりこの明治時代という大きな転換期に、日本の歴史の価値観が大きく逆転していることがうかがえる。

そして吉野に代表される『桜』が急浮上することになってゆく。

この南北朝時代の天皇家の権力争いにおいて南朝、すなわち後醍醐天皇方が敗北し、その後の天皇家は北朝の血筋になっている。

ところが徳川幕府が明治新政府によって倒されると、いきなりのように南朝の匂いがぷんぷんする『桜』が取り上げられることになる。

まさに『花は吉野に嵐吹く』というやつだ。

悪党呼ばわりされていた楠木正成の評価がひっくり返っている。

このことが、明治・大正・昭和・平成と続く天皇家の血筋が幕末期の孝明天皇の直系の子孫だと考えた場合にはつじつまが合わないことになって来る。

岩倉具視よ、何か図ったな。

なぜ菊の御紋の家来たちが桜をシンボルとし、日本政府が徳川の三つ葉葵ではなく豊臣の桐紋が使われているのか、誰か学校で教わった人はいませんか。

靖国神社に集う英霊の方々を辱めるものではなく、あまりにも当たり前のようにして受け入れ過ぎていることがあったことに気が付いてしまった。

15日には黙とうを忘れまい。



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