核と戦争の区別

私は高校を出るまで長崎で生活していた。

その後仕事の関係で長崎に戻ったこともあったが、本質的には「異郷暮らし」である。

毎年この季節が来ると長崎は、原爆忌と精霊流しで明け暮れる。

8月9日の午前11時2分。原爆が投下され爆発した時刻には黙とうを促すために県内各自治体が一斉にサイレンを鳴らす。

バスや電車に乗っていても、商店街で商売する人も買い物に来ている人も、立ち止まって黙とうをする。これは物心ついた時からの習慣になっていたから、ごく当たり前のようにやっていた。

他の市はどうか知らないが、長崎市内の小中高すべての学校は、8月9日を「原爆祈念日」として夏休みの登校日にしていて、11時2分には全校生徒が黙とうした。それを12年間続ければ習慣付くのは当然のことだった。

長崎を離れた私は日本各地へ赴任したが、どこへ行ってもこの日の同時刻にはひとり黙とうした。2分前である11時ちょうどに腕時計のアラームをセットしていて、接客中であろうと会議中であろうと廊下に出たものだった。

福岡くらいなら理解してくれたが、その他の地方ではひとり黙とうする私を奇異なものとして振り返って見られたものだった。




被害が広島より少ない理由で、長崎型が威力が弱いとする誤解が世界中にあるが事実ではない。

逆に広島のウラニウム型よりも長崎のプルトニウム型の方が威力は強かった。ただ、長崎の地形に凹凸が多かったために被害の広がりを防いだものだった。

そしてもう一つの誤解がある。広島・長崎が原爆にこだわる理由として、反戦とか平和とかとごちゃ混ぜにして語る向きがあるが、これは共産党や旧社会党が政治的に原爆を利用しようとした作為のものであって、戦争と核兵器は明確に区別すべきものである。マルクス・レーニン主義だからだろうか。

民間人を攻撃目標にして焼き尽くしたのは広島・長崎だけではない。東京でも大阪でも名古屋や博多やどこにでもB29は飛んで来て民間人に焼夷弾攻撃を加えた。これがホロコーストでなくて何だろう。

それらの延長上に広島・長崎があるのではない。

ヨーロッパ戦線がナチスの降伏によって終結し、ソ連軍の機甲旅団がシベリア鉄道を使って続々と東アジアに向かっていたからこそアメリカは原爆投下を急いだだけのこと。焼夷弾攻撃はいくらやってもソ連を止めることはできなかった。

戦争は悲惨なものだ。

それはシリアでもイラクでも、ベトナムでもドイツでも、もっと言えばナポレオンやチンギスカンもそうだった。人類の歴史は戦争の歴史でもある。わざわざ広島・長崎を引っ張り出す必要はどこにもない。

どこかの不勉強な役者が硫黄島を引き合いに出して「原爆だけが戦争じゃないよ」と発言したが、我々は「戦争」を云々しているのではない。兵器としての核を正面から受け止めているだけだ。彼が知らないだけだ。




SEALDsとやらが「戦争法案反対」とやっていたが、戦争に賛成する者などこの世にだれ一人としているわけがない。そして都知事候補の一人は「中国が攻めて来るなんて妄想ですよ」とやらかした。

あっちは核保有国であって、しかもウイグル自治区で核実験をやった国だ。恐ろしさを知らないのか、あるいは漢民族以外を人間と見ていないかのどっちかだ。

いずれにしても核保有国が核兵器を使わないという保証はどこにもないのであって、それを妄想だと言うのであれば、北朝鮮のテポドンはどうすると言うのか。戦後教育によって完全に狂わされている。

「原爆だけが戦争じゃない」と言った役者と同類だ。

まだ生まれたばかりの赤ちゃんのような原爆でさえが、あれだけの威力を発揮した。それまで考えられなかったほどの被害をもたらした。

その事実があまりにも伝えられなさ過ぎた。戦いの勝者によって正義が書き替えられたからだ。浦上天主堂の瓦礫のような不都合な証拠は解体撤去された。本当であれば広島の原爆ドームも壊したかったはずだ。




「戦争」と「核兵器」は明確に区別して語られなければならない。

被爆者団体が「戦争反対」だ「平和」だと言ってるが、彼らはシリア紛争に何か口を出してるだろうか。トルコのクーデターに何かコメントを出しただろうか。

逆にSEALDsがどこかの国の核実験に対して、何か非難声明を出したというのか。「味噌クソいっしょにするな」という言葉があるが、彼らには「区別する」という自覚がない。政治的に利用できるものは何でも引っ張って来るだけだ。

だから原爆資料館の出口で中国からの観光客が「南京大虐殺のバツだ」と言って唾を吐いている。戦争と核兵器の区別がつかない証拠だ。

そして核兵器の恐ろしさを、実は核保有国の側が知らなさ過ぎるのだ。シュワちゃんの主演映画『トゥルーライズ』で核弾頭がさく裂するシーンがあったが、単なる大型爆弾として描かれていた。知らないんだよね。

知らない国が知らない兵器を保有している。これは恐怖だ。だから「教えてやろう」と言っている。

そして実は「知らない日本人」が増えている。

核保有を「論議」することに反対ではない。「論議」を深めることは「知る」ことにつながるからだ。知らないままスルーすることは卑怯だ。

知った上で、持つも持たないも将来の人々が決めたら良い。憲法9条では平和は保てない状況に世界は来ている。

田島陽子さん、尖閣諸島に来ている中国漁船に「話し合い」に行ってはいかがですか。

戦後70年以上もの間、ナガサキを最後に核兵器は使用されていない。使えば終わりだということを知っているからだ。つまり抑止効果のある「使えない兵器」だという意味を含んでいるのだが、それを知らない国がコストパフォーマンスだけで持とうとしている。それが危ないと言っている。




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