小さな権力

4月27日のツイッターに以下のようなつぶやきが載せられた。
「銀座でママに『人の本質を見たかったら、小さな権力持たせてみなさい』と教わったことを今になってふと思い出した。小物はつけ上がるからわかりやすい。」

思わず吹き出してしまった。人間の本質を簡潔に表している。
確かに「長」が付く役職に就くと態度を豹変させる者が少なくない。いやむしろ豹変しない者の方が少ないかもしれない。
社内の態度はもとより社外でも、やたらと名刺を配りたがるようになる。

本人は張り切っているのだろうことから、それがすべておかしいとは言わない。昇格することで、より業務の遂行を高めようともするだろう。
しかし気持ちと行動がバランスしない場合が出てくる。特にヒラから課長もしくは課長補佐になった時と、初めて取締役になった際に落とし穴にはまる人が少なくない。

階段の1段目と、踊り場だ。

行動を伴わないまま気持ちだけが「偉くなった」という突っ込んだ状態になると、周囲の鼻につくような醜態を見せることがある。
あるいは「先へ先へ」という気持ちとは逆に、行動が「後へ後へ」と後退する場合がある。

銀座のママ、つまり水商売の人たちは冷静な目で的確に評価しているのだろう。特に社会的地位が低く見られやすいホステスや運転手などに、高圧的な態度に出る者がいる。
これは男性だけではなく、部長夫人・社長夫人・PTA会長などといった女性にも当てはまることがある。

担任だった中学生の生徒を自殺させた広島の女性教員もいた。

人は少なからず地位を得ることによって気持ちが先行する場合がある。
その結果として「他人に厳しく自分に甘い」といった醜態を演じてしまい、しかもなかなかそのことに本人が気付かない。
周囲の誰もが気付いているのに、自分だけが気付かないことを「裸の王様」とも言う。




昨今、東京都知事の言動が連日のように報道されている。舛添氏の過去の発言や記載文にも矛盾点が多数見つかっていて、国会議員だった頃と、都知事になった後の二段構えで攻められている。十中八九逃げられないだろう。銀座のママ流に言うならば、彼は国会議員になった時点で「小さな権力」を手にしたのであって、その時すでに豹変していた。
代議士となり大臣となり党代表になり、その上で首都の知事におさまった。
本質が「小物」であればあるほど豹変は必然になってくる。

このことは「小泉チルドレン」とか「小沢ガールズ」などといった1年生議員にも言えることであって、階段の1段目を上がる際には十分すぎるほどの注意が必要になる。
それと踊り場、いわゆる党三役だったり入閣したりした場合だ。
民進党のガソリンおばさんは、このどちらにも当てはまる。

自民党は参院選をひかえているので、舛添氏の処遇は悩ましい。谷垣幹事長が激しく非難したが、自民党が舛添氏を切って捨てる覚悟があるかどうかは未知数だ。そこには森元総理の二枚舌が原因している。
都議会には百条委員会という手段があるものの、知事は議会の解散権を持っているので、都議会議員は議員選挙を覚悟の上で追及しなければならない。

つまり、舛添都知事が適任なのか不適任なのかはこの際問題の本質ではなく、参院選に与える影響はどっちなのか、都議会議員選挙を覚悟できるのかどうかといった打算の話に移っている。
都知事の人格がどうなのかは、すでにはっきりしている。

国民が幸福になるかどうかは二次的なことであって、政治家はまず選挙に勝たなければ何にもならないということだ。

ただし役人(官僚)は違うよ。地方公務員であれ国家公務員であれ試験に受かれば「人格」などどうでも良いことであって、しかも任期は基本的に定年までだ。
だから好き勝手がしやすい環境にあって、しかも「小さな権力」が横行している。
警察までが裏金を積み上げるのだから、舛添氏なんて珍しい話ではなさそうだ。






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