日航ジャンボ墜落事故を振り返る

私は長い間ずっと、日航ジャンボ123便の御巣鷹山墜落事故に疑念を持っていた。
事故は1985年8月12日に起きたものであり、乗員乗客合わせて524名、生存者が4名、死者が520名でした。
特に、事故発生当時は中曽根内閣であり、その後1987年に運輸省による事故調査報告書を受理したのが橋本内閣だったわけですが、この間の流れが胡散臭いことだらけだったことが、四百数十世帯に及ぶ犠牲者家族を自民党政権が愚弄し続けて来たのではないかという疑いが晴れずに来ています。

事故直後から自衛隊機による撃墜説とか、米軍によるものとか、いまだに続いているブログでロシアを含めた小型核ミサイルの陰謀だとか、様々な推測が流布されて来た。
しかし私はこうした一連の、明らかな実証が成されていないものに関しては、関わるつもりはありません。
ただ、事故当時の警察検視官だった塚本訓氏が出された「墜落遺体」という書物をノンフィクションのドキュメントとして採用しました。
この本には部分遺体(手足や指など)と完全遺体の分布図が事故現場の地図に書き込まれた絵図があります。

実際に遺体を回収したのは自衛隊や消防団などのメンバーだったから、遺体の回収状況を詳しく書類にして添付したものと思われ、塚本氏は後にそれらを総合したものと思われるわけです。
つまり回収作業に従事した人々は、個々の遺体の場所情報を報告したに過ぎないが、それらを塚本氏の手によってまとめ上げた時、重要な情報となったのだと考えました。

墜落機体の進入方向に対して、左斜め前方におびただしい部分遺体が飛び散っていた。
それは機体中央部の座席に座った乗客がほとんどであって、前方の座席の乗客は大部分が完全遺体で回収されている。また、後部座席の方からのみ生存者がみつかっている。
もし墜落のショックによる死亡だとすれば、なぜ進行方向の左斜め前方に飛び散らなければならないのだろう。
たとえば電車の追突事故のような場合、乗客は進行方向に突き動かされるはずであって別の方向へ飛び出すことは考えられない。
しかも完全遺体は進行方向にあるのに、部分遺体が別方向に飛び散っているのは不自然だ。
しかしこの「墜落遺体」という本では、そのような疑念については触れようとしていません。あくまでも事実に基づいた記録に徹しています。それだけに、この不思議さが真実味を帯びて来るのです。

他にもこの本では、死亡者を特定するための検視の過程で多くの遺体を調べていて、その場面が生々しく書かれているのですが、読んでいて遺体の損傷があまりにも激しすぎる印象を覚えました。
当該機は墜落を予想して速度を限界まで落としていたはずであって、木々が生えた山中の森に滑り込むように墜落している。
にもかかわらず回収された遺体は、全速力で垂直の崖にでも衝突したかのようにこの上なく激しく損傷している。
安全ベルトを締めていたために多くの遺体が上半身と下半身がちぎれているわけです。
裏返ってボール状に丸まった人間の皮膚を、バケツのお湯でゆっくりとほぐして行くと、母親に抱かれた赤ん坊の遺体が二人分まとまって出て来た、などといった描写が見られる。
こんな損傷を受けるものだろうか。
ここから(何か隠されている)という感想はあったわけです。

そこから自衛隊による撃墜とか、米露の核争いだとかに進むつもりはないのですが、何かしら腑に落ちるものが感じられない。
たぶん多くの人々が同じ思いを抱いているのではないかとも思うわけです。

ここに面白い動画がYouTubeにアップされていました。
事故発生当時、日本テレビで生放送されていた「ザ・トップテン」という公開音楽番組です。
司会は堺正章と榊原郁恵で、渋谷公会堂でのライブ放送だった。
この生放送中に臨時ニュースとして割り込んで来たのが「え~さて~」でおなじみだった小林完吾アナウンサーによる、日航123便の消息不明という報道だった。
つまり日テレにとってはこの事故の第一報だったことになる。
よくこんな動画が残っていたものだと感心させられるのですが、実は驚くのはそんなことではない。
小林完吾アナウンサーはどんな原稿を読んだか書き出してみましょう。

「日航ジャンボ機が今夜消息を絶ちました。日航本社によりますと消息を絶ったのは羽田発大阪行きの123便のボーイング747型機で、今夜7時過ぎ、機体の右側ドアに異常が起こり緊急降下するという連絡を最後に消息を絶ったということです。消息を絶った地点は明らかにされていませんが、アメリカ軍から入った情報によりますと、東京の横田基地から北北西に34マイル、およそ60km付近の群馬県富岡市付近で炎上する物体を目撃したということで現在確認を急いでいるということです。また長野県警に入った情報によりますと、午後6時55分ごろ、群馬県と長野県の県境の山中に黒煙を上げた飛行物体が墜落したのを住民が目撃したという情報がありまして、現在確認中だということです。」
「乗員乗客524人を乗せて消息を絶っていました日航のジャンボ機ですが、長野県警察本部は今夜、長野県南佐久郡の北相木村に墜落したことを確認いたしました。」

これはあくまでも初期報道なので情報が錯綜しているであろう点は否めないのですが、ただ一点、米軍が把握していたという事実ははっきりしているんですね。
それと墜落した上で黒煙を上げたのではなく、黒煙を上げた飛行物体が墜落したのを目撃した住民がいる、という点も?と思わせるのです。
運輸省の事故調査報告書によれば、墜落原因は圧力隔壁の破壊であって、それによる垂直尾翼の喪失と油圧系統の喪失が主な原因だったと結論付けているんですが、だったら墜落前に黒煙が上がる要素がどこにもないことになる。

さらに在留米軍が墜落現場を把握していたという報道は事実ではないと当時の自衛隊幹部が証言しているんですね。「聞いてないよ」と。
どこかちぐはぐになってますね。
噂されているのはロン・ヤスによるプラザ合意が関わっていたとする考え。
なるほどそれくらい大きな裏舞台がなければ520人もの被害者を出した事故が、力づくでウヤムヤにされる必然がないでしょう。

圧力隔壁が破壊したことで急減圧が起こったとする仮説は、コクピットの3名がマスクなしに会話をしていたという事実で一発アウト。
客席で遺書を走り書きしたお父さんがいたようですが、酸素不足の機内だったら15分ほどで気絶しているはず。これもアウト。
一説によれば米軍の救援を断ったのは、現場の指揮を警察が執るのか自衛隊が執るのかで縄張り争いが起きていたとする話があるようですが、そうなると韓国のセウォル号沈没事故を笑えない話になって来ます。
この縄張り争いという逃げ口上は、実は福島第一原発事故の際にも用いられた手法であって、何かを隠さなければならなくなった際に警察や消防や海保や自衛隊などを悪者にして、本当に責任がある立場の者が責任の追及から逃れようとする常套手段でもあるわけ。
それが霞が関なのか永田町なのかはわかりませんよ。わからないけど現場で汗を流した人を悪者にしちゃいけない。
それだけは言える。

いま、アメリカ軍の関係者が徐々に除隊しはじめていて、この日航123便に関する米軍としての情報が少しづつ公表され始めている。
29年前のことは箝口令が引かれていたとしても、除隊して民間人になった人物は正義感から口を開く事例が出始めている。
ましてやロナルド・レーガンの時代はとっくの昔に終わっている。

圧力隔壁という内部破壊がウソだったとすれば、垂直尾翼を破壊したのは外部要因だったということにしかならない。
その物体は何だったのか。日本の自衛隊によるものだったのか、あるいは在日米軍によるものだったのか。もっと言えば別の組織のものだったのか。
今までのところは闇に閉ざされていますが、プレデターのような無人飛行機が実戦配備されるようになった現代だと、とらえ方は変わって来ているでしょう。
そして日航機や管制塔が他の飛行物体をレーダー把握していなかったと当時は盛んに報道されましたが、現代ではステルス機は常識になっている世の中です。
三菱か川崎あたりが技術協力をしていたと仮定しても、何ら不自然なことではないでしょう。

アメリカにとってJ・F・ケネディの暗殺がトラウマになっているように、日本ではこの日航ジャンボの墜落事故がひとつのトラウマになっていると言って過言ではないでしょう。
着実に真実が近くなって来ているように思えてなりません。




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