最高の仕事

「保育園落ちた、ニホン死ね」というメッセージと「国連女性差別撤廃委員会」の発言とを目にして、つらつら考えた。

彼女たちはいったいナニがしたいのか。

女性とはナニか。

男性と同じように職場で評価されれば文句がないのか。

夫婦が別の苗字を名乗ればそれで満足なのか。

手を打って『その通り!』と叫べない、何かしら腑に落ちないものを感じてしまうのは、私が男だからだろうか。

田嶋陽子の『性差別被害者』論に、納得がゆかないのは私が男だからだろうか。

そうではないだろうと思うのだが、絶対にないとは言い切れない。なぜならば私は男以外になったことがないからだ。




『職業』というのは労働や技術をもって対価を得ることだ。(遺産などで遊んで暮らしている人は別だが)

しかし『仕事』ととらえた場合、この世の中で最も神聖な『仕事』が実は『お母さん』なのではないだろうかとずっと考えていた。

これだけは男は足元にも及ばない。

体を張って命がけで出産し、寝る間を惜しんで子育てする。我々の母親世代は、おんぶヒモで赤ん坊を背負いながら洗濯板で手洗いをしていた。

今でこそベビーカーなる物が普通にあるが、昔は乳母車(うばぐるま)と言って金持ちの家にしかなかったから、庶民はすべておんぶだった。

いま考えれば昔の母親はすさまじいばかりの労働を強いられていた。

やがて職を持ついわゆる『職業婦人』たちがピンクのヘルメットをかぶってウーマンリブを言い出したが、世間の主婦層は歓迎しないそぶりを見せた。

子育ての主婦という『仕事』に誇りを持っていたからだ。

「ウーマンリブなんて一部の鬱屈した女性の主張なんだから放っときなさいよ、女の幸せを知らない不幸な人たちなんだから」

半ズボンを履いて遊ぶ私のかたわらで、近所の奥さんと井戸端会議をしながら母がよく言ってたものだった。

そう、男が逆立ちをしても決して真似ができないこと、それが出産であり手抜きが許されない子育てだ。

稀に父親だけで子育てする家庭もあるが、必ず誰かの力を借りている。保育園だったり親戚だったり。

しかし母親の場合は保育園がなくても、身辺に親戚がなくても子供を育てることができる。そこが男と女の違いだ。人類最高の『仕事』である。




国連で愚かな委員が日本の皇室の在り方に文句を言ったとか。皇位継承権が男系にあるからだそうで、それのどこが『差別』なのだろうか、さっぱりわからない。

従軍慰安婦強制連行の事実があろうとなかろうとそんな事とは無関係に『日本政府は謝罪と賠償を』、それお前らが言うことなのか。

『保育園落ちたの私です』。

保育園に入れてあなたは何がしたいの?

それが母親の本分なの?

このような間違った方向へ進もうとしている女性に対して、子育て中のお母さんたちはもっと怒るべきだ。

もちろん待機児童の問題は行政の責任として積極的に処理すべきことではある。

だから投票所へ足を運んで(期日前投票だってできるのだから)適切な政治家を選ぶ責任があると同時に、自分たちを代表するかのような偽物の声には『うるさい、黙れ!』と声を上げるべきだ。

国連にせよ共産党にせよ、目的は自民党政権への攻撃なのであって、母親の名を騙(かた)って正体を隠そうとしても、尻尾が出てますよ、と言うこと。

あ、そうそう「ニホン死ね」との声の主は、どうやら判明したらしい。

やっこさん1年で地球を5周もしたらしくって、かちかち山の狸になってるとか。

世の中のお母さんたち一人ひとりに謝って回る必要がありそうだ。




皆さん、ご機嫌よう。


【追記】
コメントを頂いた。
本文は職業と仕事を区別しており、収入を得る手段としての職業を否定するものではない。
保育施設を利用しようとするまいと、母親の仕事の重要性は変わらない。




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