ラスト・サムライ

以前も書いたかも知れないが、私がまだ社会人になって日が浅かった頃、大好きだった上司がいた。

彼はシベリア抑留を経験した元将校だった人物で、非常に秩序正しい人だった。

彼は、仕事が終わるとなぜかいつも私を呼んで「さぁ行くぞ」。

行き付けの場末のスナックに連れて行くのだ。

洒落た店ではなく50を過ぎたママが一人で営っている店で、いつもだれ一人客がいなかった。

二人の間にどんな関係があったのかは知らないが、少なくとも色恋沙汰があったようには思えなかった。

ママは私のような若者が行くと「お腹すいたでしょ」と言って、いろんな手料理を出してくれた。

上司に酒が入ると、いつも歌うのは「帰り船」。

シベリアから引き揚げた際の記憶が鮮烈だったのかも知れない。




その上司が若い私に言った話。

「お前らはどうやって仕事を得るつもりなのか。接待か? ゴルフか? マージャンか?」

え? と口ごもった私に上司はこう言った。

「いずれにせよ会社の経費を当てにしているだけで『自分力』で仕事を取ることを知らない連中が多すぎる。経費を当てにしていれば仕事が取れなかった責任を会社のせいにできるだろうが、『自分力』で取れなかった時は誰のせいにもできないぞ。そういうヤツは組織は要らないんだ」

彼の名を○久保さんといった。

私は自分のことを「○久保学校一期生」と名乗って、彼が定年退職した後もずっと年賀状を書き続けた。

彼の奥さんから来た喪中欠礼の葉書には、結核が悪化したと記されていた。

私にとっての「ラスト・サムライ」だった。



こういう人物と直接触れ合ったからこそ、旧日本軍による暴行虐殺というものが、どうしても信じられないのである。




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