世界遺産とは何か

長崎県が申請を却下された『キリスト教関連遺産』の世界遺産登録に関して、あらためて不備な部分を補強して再提出しようとしているらしい。

私も長崎出身なので、他の土地の人よりは少しはキリスト教(カトリック)について知っている。私自身はキリスト教徒ではないので客観的に見ることができるだろう。

そもそもユネスコが進める世界遺産というものが、観光資源の掘り起こしに利用される金儲けの手段となり下がっている点は嘆かわしいことだと以前から考えていた。

ゴミが多すぎるとして一時登録が却下されたのは富士山だったが、エベレストには世界中の登山隊が残して行った酸素ボンベなどのゴミがごろごろしているとされている。アタックキャンプのテントなども丸めて捨ててあると言う。

世界遺産登録が金儲けのためなのか名誉欲のためなのか、あるいは保護なのか区分がはっきりしていない。

群馬にある富岡製糸場に来る観光客が文化遺産登録後に倍増したという話があって、『世界遺産はカネになる』というどこか間違った解釈が全国に広がった。

大型の貸し切りバスが何台も連なってやって来る光景は、予算規模の小さな自治体にとってよだれが出るほど羨ましいのかも知れない。

まんじゅうやキーホルダーが飛ぶように売れるのだとか。

と同時に日本は大きな矛盾も抱えている。紀伊半島にある熊野古道問題だ。

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのは2004年のことだった。

熊野古道の中でも最難所とされるのが八鬼山(三重県尾鷲市)だが、その麓にある名柄集落の山道には、道であれ岩であれ樹木であれ色とりどりのペンキで猛烈な落書きがされている。

その文面は「世界遺産反対」「たかり古道」「登山者を歓迎しない」などと書かれている。つまり地元の住民によるものだということがはっきりしている。

何故なのか理由を調べてみたい。

名柄集落の住民は言う。「八鬼山は先祖代々私たちが山菜を取り、林業をいとなみ、狩猟をしてきた土地です。私たちは地権者なのです。それが何の相談もなく世界遺産になってかつての自由な生活ができなくなりました。登山者は落書きを見て悲しくなるといいますが、あれを描いて一番悲しいのは地権者の私たちなんです。あの意思表示は最後の手段です」

ことの起こりは市の教育委員会が、それまであった普通の山道を「熊野古道」という立派な名前に変えて、観光客や登山者を誘致しようと画策したことだった。

そのために登山者を保護する観点から狩猟を禁止する。

それが引き金となって畑を荒らす獣害が増加する。山菜も穫れなくなった。

2001年。「熊野古道を世界遺産に」という話が持ち上がり、市と市教委が結託して登山道の両側50メートルをバッファーゾーン(緩衝地帯)として木材の伐採や枝打ち、山菜採りの禁止などといった地元の地権者の権利を無視する行政に出てしまった。禁止しなかったとしても観光客が増えてしまってからでは、伐採や木材の運び出しは事実上不可能になっている。

世界遺産登録に必要な測量に地権者は立ち会うことができず、市は市議会に対して「地元説明会で地権者の同意を得た」との虚偽報告をしている。

地元地権者は言う。「いま八鬼山では林業はおこなえない。狩猟も禁止されているので、増えすぎたイノシシやシカに畑も山も荒らされている。世界遺産以前の自由な裏庭状態を返してほしい」と。

八鬼山はスギやヒノキの名産地であるにも関わらず、林業ができない状態におかれていて、文部科学省の外局団体である文化庁の記念物課では「地元の動きを尊重するしかありません」と」しているが、その際の「地元」が市教委なのか地権者なのかがはっきりしない。要するに責任逃れをしているだけだ。





この『熊野古道問題』が象徴的に表しているのは「行政が一度始めた計画は相当な抵抗があっても強行される」ということであって、ダム建設によって水没する集落の問題だとか、道路建設によって田畑を奪われるとかの反対運動が全国各地で起きている。

その一方で、地元と行政自治体がタッグを組んで進めようとしているのが世界遺産なのだが、その根拠が怪しすぎるのだ。

日本にイエズス会が入り込んで来たのは1549年のフランシスコ・ザビエルに始まる。

長崎に『聖母の騎士修道会』という組織があるが、イエズス会とは『騎士団』すなわち軍事的な要素を兼ね備えていて、それが「ローマ教皇をプロテスタントからお守りする」という目的が会の発端だからだ。『聖母の騎士』そのままだ。

豊臣秀吉の九州征伐は天正14~15年(1586~7年)だが、その際に当時の日本イエズス会の準管区長だったガスパール・コエリョが、スペイン艦隊が自分の指揮下にあるかのような言動を取ったことから秀吉は『バテレン追放令』を出す。

イエズス会の東インド管区の責任者だったアレッサンド・ヴァリニャーノはコエリョの軽はずみな言動を厳しく非難しているが、こうした攻撃的側面を持っているのがイエズス会(騎士団)の本質である。

つまり長崎や熊本の天草を中心とする隠れキリシタンとは、言ってみればイエズス会が持つ攻撃的な側面を敏感に察知した秀吉が、弾圧したことに端を発していることがはっきりする。

キリスト教の教えそのものが危険なのではなく、それらを先遣隊として後ろに控えている凶悪な侵略者を秀吉が見破った格好になっている。

イエズス会という組織はイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設された修道会だが、世界各地への宣教を本旨としていた。南米や南太平洋を植民地にした原因は彼らが作っている。

つまり長崎に残っている教会群の建築的価値を主張するのであれば、同時並行して日本が執った禁教令の理由とイエズス会の本性をしっかり掘り起こす必要がある。ただ有名になって観光客が来ればそれで良い、といった幼稚なことでは済まされない問題なのだ。




キリスト教に騎士団があったように、日本の仏教界でも武装した僧侶「僧兵」がいた。武蔵坊弁慶を知らない人はいないだろう。

だからイスラムに武装集団があっても何もおかしくはないのであって、長崎には『聖母の騎士修道会』がある。

歴史を語る場合には一面だけで判断してはいけない。表と裏があり、それが光と影だからだ。

長崎のキリスト教関連遺産をあげつらうことは光の部分だけを主張しているのであって、韓国が併合期における日本からの被害ばかりを言うのもまた影の部分だけを主張していることに他ならない。

秀吉がバテレン追放令を出したあたりの歴史教育は適切にやってるんだろうか、教育委員会は。

熊野古道といいキリスト教関連遺産といい、どうも教育行政が悪い意味で絡んでいるらしい。




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