追 悼

5年前の今日、すでに素浪人だった私はテレビの画面にくぎ付けになっていた。
あらゆる自動車や家屋が成す術なく激流に流されて行くのを、言葉もなく見つめるだけだった。
枯葉のように、塵芥のように重い物が簡単に流されて行く。
それはそれは壮絶な光景だった。

ヘリコプターがとらえた津波の先端は、田畑やビニールハウスなどを飲みこみながら、大型トレーラーが立ち往生している高速道に迫っていた。
そしてそれを追いかけるようにして、鉄製の漁船などが次々と流れて来る。
そこまでの想定は誰もできていなかったはずだ。
逃げ遅れた人たちを責める資格がある者など、いるはずがない。

その巨大な波は、沿岸部にある漁船用の燃料タンクを破壊しており、表面には大量の可燃物を浮かべていた。
瓦礫に油がかけられる。
地震と津波は午後3時前だったが、日が暮れた頃から火が出た。

夕刻まで逃げ遅れた人たちが家の屋根の上で手を振っていたが、停電していた気仙沼の港町に火が回った。
真っ暗闇の瓦礫の街が燃え上がった。
屋根の上で手を振っていた人たちはどうなったのだろうと、そればかり考えた。

火災の内容は違っても、それまでの悲惨な光景は阪神・淡路の地震災害とその後の火災を彷彿とさせた。
神戸は1月、東北は3月、どちらも非難した人々に「寒さ」という追い打ちをかけた。

ところが、福島第一原子力発電所の稼働中だった原子炉に制御棒が入れられて緊急冷却作業が始まっていた。
しかし急速な冷却は燃料棒の破壊を招くとして、冷却水の注入をON・OFFしていたことが後の証言によって明らかになる。
偶然だがOFFした状態で全電源の喪失を受けた。
ここからメルトダウンが始まる。
決死隊を組織して原子炉に近づこうとしたのも、このOFFになったままの弁を開こうとしたものだったが余りの線量の高さによって断念している。

地震災害では壊れなかった原子炉は、電源喪失によって破壊された。
非常用ディーゼル発電機を地下に設備していたからだ。

多くの避難所生活をしている被災者はそっちのけでマスコミ各社は東京電力に集中した。
当時の総理大臣は、官邸の中で右往左往し怒鳴り散らした。
無駄に太った官房長官はテレビカメラに向かって、「安全です」を繰り返した。
NHKは東大の御用学者を毎回呼んで「問題ない。メルトダウンは起こり得ない」と言い続けた。
スピーディ・データを隠した文部科学大臣は逃げて姿を見せなかった。
今になって振り返ってみると、当時まともな仕事をしていたのは防衛大臣だけだったような気がする。
それほどメチャクチャな内閣だったようだ。

この頃から(この災害は、これまで日本人が経験して来た災害とは異質なものになる)という実感が沸いていた。
前例はあった。
スリーマイル島でありチェルノブイリだった。
日本人が経験してきた自然災害とは、台風であれ噴火であれ地震であれ火災であれ、じっと我慢して避難し、その間たがいに助け合うことで潜り抜けることができていた。
しかし、放射能事故の場合、追われた故郷へ戻ることができるだろうかという見通しのたたない不安しかない。

被災者たちはさいたまアリーナや加須市を転々とさせられた。
首都圏ではあちこちで「ホットスポット」と呼ばれる高濃度放射線が見つかった。
放射性ヨウ素から放射性セシウムに代わった。

海外では津波災害の映像が広く伝えられたのに対して、日本国内の話題はもっぱら首都圏の放射能に集まった。
牛乳は大丈夫なのか、茶葉はどうか、シイタケはどうなんだ。
無理もないと言えば無理もない。これまで経験したことのない不安なのだ。
特に放射線の影響は、細胞分裂が活発な成長期の子供たちに顕著になる。
α線やγ線が細胞内の染色体に被害を及ぼすからだ。
まだ成長過程にある子供さんを抱えたお母さんたちが、鬼のような顔になって我が子を守ろうとしたであろうことを誰も非難はできない。ほとんどの人がそのようにして母親から守られて育ったのだ。

それはいまだにそうであって、原子力災害は5年たったからどうだこうだという問題ではない。
放射性物質によっては100年単位、1000年単位の半減期がある。
「観測される放射線量が低下してるのだから科学的な判断が必要だ」としたり顔で発言する学者がいるが、人間は科学判断だけで生きているわけではない。
箱根温泉の観光客が減った際にも「風評が、風評が」と叫んだ村長がいたが、選ぶも選ばないも自由意志が許されているのが民主主義だ。
「箱根温泉でも熱海温泉でも同じ金額ですよ」とツーリストが言った場合、どっちを選ぶかは自由であるはずだ。
福島産の桃を選ぶも山梨産の桃を選ぶも、消費者の自由なのだ。
ナマズを食えと言ったのは北朝鮮の指導者だった。
中国の習は芋を食えと言っている。
そして日本では避難区域へ戻れと。

食品アレルギーがある娘さんを持つ母親が、避難所で配られるパンや弁当などをチェックして「今日も食べる物が何もないね」と言って水を飲んでしのいだという話がある。
コンタクトレンズを使っていた女性は、消毒液が手に入らず結膜炎を起こして視力が極端に低下したと言う。
自分の身は自分で守るのが原則だと言うのであれば、風評だ何だと非難されようとも危うきを避けるのは当たり前なことだと思う。
仮に福島の避難区域が安全なレベルに放射線量が下がったとしよう。
買い物をする商店は開いてるか。理美容院はどうだ。病院はあるか。時刻表通りにバスは来るか。街路灯は点くか。新聞は配達されるか。野良犬やイノシシは駆除されているか。
それらの一つ一つが帰還事業の条件になって来る。
それを考えれば、とてもじゃないが準備が足りていない。
安倍首相が「アンダー・コントロール」と言ったから?
ダメだ。復興増税の税収を、財務省が無駄な予算にまでバラ撒いてしまったじゃないか。
それで消費税を10%にする?
完全に狂っている。

「コンクリートからヒトへ」と偉そうなことを言っていた政権は、結局巨大な防波堤を建設してるじゃないか。
いつしかこの国の主権は、国民ではなく役人とその下にぶら下がるゼネコンのものになっていた。
そして主権を奪われた国民は「避難を終えろ」「地元に帰れ」と言われている。
行方不明になった被災者の遺体をいつまでも捜索せよと言うのもどうかと思うが、埋め立て工事だけが対策だと考えるのも「何か変だぞ」と思ってしまう。

あれだけ大きな犠牲を払ったのだから、日本人はワンステップ賢くなっていないと意味がない。



市役所のサイレンが鳴ったら、今年も黙とうしようと思う。





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