「命のビザ」で上陸から73年 米国のメラメドさん再訪

韓国の不愉快な情報ばかり接していたので、このところ体調が芳しくなかったのですが、久々に爽快な気分になれる記事に出会いました。

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第二次大戦中にリトアニア領事代理の杉原千畝氏が発給した「命のビザ」で敦賀港に上陸したユダヤ人難民のレオ・メラメドさん(82)=米国シカゴ在住=が三日、七十三年ぶりに敦賀を再訪した。
港に立ち「故郷に帰ったようで胸がいっぱい」と語った。
メラメドさんは、ポーランド出身。一九四一年二月、八歳の時に両親とソ連・ウラジオストクから船で敦賀港に上陸し、その後、米国に移住した。
現在は米国最大規模の先物市場、シカゴマーカンタイル取引所(CMEグループ)の名誉会長を務め「金融先物取引市場の父」と呼ばれる。
メラメドさんは、河瀬一治市長ら市民の呼び掛けで敦賀を訪れた。
最初の市役所では、職員が花束を贈り、拍手で熱烈に歓迎。
河瀬市長は「メラメドさんの訪問は敦賀市に歴史的な日。命の大切さと平和の尊さを発信したい」と語り掛けた。
メラメドさんは「杉原千畝氏の正義の行動を日本人として、敦賀を人道のまちとして誇りに思って」と手ぶりを交え語った。
この後、金ケ崎緑地の敦賀港岸壁に妻ベティさん(79)と立ち「(上陸した時と)同じ山」「出迎える人たちが笑顔だった」と振り返った。
メラメドさんの胸に焼き付いているのは、二年間の逃避行を経て敦賀港に上陸した時、母の「二年ぶりに楽に呼吸できる。あなたの手も放せる」という言葉。
「敦賀の人たちは花や果物をくれ、温かいお迎えは安全の象徴のように感じた。お礼申し上げます」と感謝を述べた。
同緑地の「人道の港敦賀ムゼウム」も訪れ、メラメド一家のパスポートと「命のビザ」複製の特別展示を見学。
置いてあったメッセージボードに「敦賀の人たち、人道の港へ」という書き出しで文章をつづり、杉原千畝氏への感謝を表明し「歓迎と親切さを忘れない」と締めくくった。

(増井のぞみ)

中日新聞 2014年7月4日


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先人たちが残した、このような博愛行動を語り継ぎたいものです。
それこそが日本人の仕事なのですから。

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