縄に見る日本の成り立ち

むかし誰かから聞いた話で、真偽のほどはわからないもののちょっと興味深いものがあった。

大東亜戦争初期に大活躍した零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦だが、これが南洋の島で撃墜され米軍によって捕獲解体されたという。

徹底的に研究されたけれど、目立った革新性はなかったと言う。

逆に搭乗員を保護する機能がないことが判明したことから、空中戦に持ち込んだらコクピットを銃撃するようにと米軍パイロットに指示を出したと言う。

ただ、研究チームが舌を巻いたとされる部品があった。

操舵ペダルに取りつけられたワイヤー・ロープだった。

「こんな編み方のワイヤーは初めて見た」と、大騒ぎになったと言う。

繰り返すが、ウソか本当かはわからない。




ロープとはそもそも植物や動物などの繊維をねじり、縒り合わせて糸にする工程を太く拡大したものが紐であり縄にしたものである。

だから人類の根本的な文明のルーツだと言っても過言ではない。

日本の縄文遺跡から出土した土器には16000年前の縄の痕が遺されている。

縄文時代とは一般的にはBC131世紀からBC4世紀頃の間だとされている。

その縄文時代のさらに1000年も前に縄が作られていた。

農耕技術を持った弥生人に滅ぼされた縄文人だが、縄や土器を作る文化は持っていたわけだ。

縄文時代の前と言えば旧石器時代だから、狩猟をしたり木の実などの採取をしたりあるいは海岸で貝を捕ったりして生きていたものと思われるが、この縄文遺跡の多くが現在の東北地方から北海道にかけて出土している。

青森県五所川原市にある十三湊は天然の良港として貿易の拠点の役目を果たしていたが、それだけ温暖な気候だったことがわかる。

最期の氷河期のことを「最終氷期」と言うが、これがおよそ7万年前に始まって1万年前に終わったとされている。

この1万年前くらいに、それまで寒さに耐えていた人類が大移動したとするのが一般的だ。

移動することができた要因のひとつは、麦などの保存が利く穀物の生産があった。

食べても良し、翌年の種に使っても良しという優れものだ。

日本列島には、東シナ海を北上してトカラ海峡から日本列島に添って太平洋に至る黒潮と、九州西方沖から日本海に流れる対馬海流という二つの暖流が流れている。

縄文時代の日本列島は、実を付ける落葉広葉樹の森に富む豊かで温暖な土地だったはずだ。

そこに暮らす人々に戦いの必要がなかったことは、残された土器の芸術性を見るだけで理解することができる。

社会が平和でなければ芸術も文化も花開くことがないのである。

縄目にこそ文化レベルの高さを見るべきだ。





イエスキリストが生誕してから2016年になるとされているが、それ以前のことが旧約聖書に、それ以後のことが新約聖書に書かれている。

シナイ山でモーセが神から授かったと言われるのが十戒が彫られた石板だということだが、これは旧約聖書の出エジプト記に書かれている。

なぜイスラエル人(ユダヤ人という意味ではない)がエジプトを出なければならなかったのか。

紀元前18世紀から同16世紀にかけてイスラエル人たちはエジプトに移住して王の厚遇を受けていたが、王朝が代わり迫害が始まったことからモーセに率いられてエジプトを脱出し40年間荒野をさまよったとされている。

それが紀元前13世紀とされている。

こうしてイスラエル人たちはカナンの地に落ち着くのだが、紀元前11世紀になってペリシテ人による侵略を受ける。

迫害や侵略の歴史がイスラエル人を襲い続ける。

ここで南部のユダ族と北部の11部族が対立する。

南北の中間点に位置していたエルサレムを拠点にダビデ王が統一国を建設しようとし、ダビデの息子のソロモンがエルサレム神殿を建てる。

しかしソロモンの死後、再び部族抗争が起きて北の10部族が分離する。

これが世に言う「消えた10支族」である。

ちょうど日本に縄文文化が花を咲いて平和を謳歌していた頃だ。





一方、日本は縄文時代→弥生時代→古墳時代と進み迎えた5世紀の頃、古代キリスト教のエフェソス会議というものが開かれた。いくつもの派閥に分かれていたために議論の場が設けられたのである。

ここでネストリウス派という団体が主流だった三位一体を否定したことから異端として排斥される。

これによってネストリウス派はペルシャ(現イラン)へと移動し、やがて中央アジア、モンゴル、唐(中国)へと伝わり景教と呼ばれた。

イスラム教のことを中国式に表現すれば回教となるが、それと似たような意味である。

日本にある最大の古墳は大阪堺にある仁徳天皇陵である。

仁徳天皇とは16代天皇であって4世紀の人物だ。ただし没後に建設された墳墓があまりにも巨大なので造営に何年かかったかは定かではない。

ただし16代目になるほど大和朝廷が実権を握っていたことは間違いない。

5世紀に入り、古代キリスト教のネストリウス派が景教として唐へ入っていた。

そこに遣唐使として渡ったのが空海であり、彼が持ち帰ったものが真言密教という名で伝えられた。

仮説に過ぎないが、これをしてユダヤ文化の流入だとするならば、消えた10支族の時代から1600年ほどたっているのだ。

つまり、日本には二重のユダヤ文化が入って来ていることになる。

さらにまた、大和朝廷が成立する以前に出雲系の文化が存在していた。

これは天照大神(いざなぎ・いざなみの子孫)とは明らかにことなる部族だ。

したがって「消えた10支族」は一辺に渡来したわけではなかったと考えるべきだ。

温暖で自然豊かな日本という土地にたどり着き、定住しようと考えたけれど、支配権を持っていなければやがてまた誰かに侵略されてしまう。

それがイスラエル人の定めだからだ。

だから熊襲などを滅ぼして武力で権力を手にした。

あくまでも仮説でしかないが、莫大な権力を握るためには必ず武力が必要だと考える部族の末裔が我々なのかも知れない。

9条さえ守っていれば平和が来るなどと言っているうちはわからないだろう。

徳川の「戦い」のない平和な世は、関ヶ原の「戦い」によってもたらされたものである。





ゼロ戦を造り大和を造った優れた民族はこのようにして進化して来たのかも知れない。

「これのかんどころにます、かけまくもかしこき・・・」で始まる祝詞(のりと)の最後に「よのためひとのためにつくさしたまへと、かしこみかしこみもうまおす」とある。

これが日本なのである。




皆さん、ご機嫌よう。










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