ナガサキ原爆と世界遺産

本ブログの2014年8月8日の記事において、私は『浦上天主堂の瓦礫はなぜ撤去されたのか』というものを書いた。

これは長崎に投下された原爆の経緯と、その被害によって瓦礫になった浦上天主堂が解体撤去されて新しく建設された史実を検証した。

さらに、今年の2月12日には『世界遺産の矛盾』という記事で、キリスト教教会群の世界遺産登録に漏れた長崎を皮肉って「観光地化を狙うスケベ根性だ」と罵った。

それはキリスト教を弾圧した徳川幕府の歴史を正面からとらえず、建物としての教会ばかりを主張し過ぎた結果だという意味でもあった。

ただし、世界史の中でたった2発だけの核兵器の実戦使用で(当時)東洋一の規模を誇っていた礼拝堂が瓦礫になって、黒焦げのマリア像が残された現場を世界に公表されることは、アメリカが世界から非難されること間違いなかったのである。

その長崎がユネスコに対して『キリスト教教会群を世界遺産に登録したい』と言い出しても、アメリカが黙っているはずがない。

その部分に触れるならば、世界中のキリスト教信徒がこぞって長崎を訪れるだろうし、そうなれば嫌でも浦上天主堂の話になって行くのだ。




前回の『義和団事件』でも触れたように、欧米諸国はアジアを自由自在に翻弄し搾取した。

長崎のキリスト教史に触れられるということは、アメリカのすねの傷なのである。

もしそのことを自覚しながら長崎県が世界遺産登録に名乗りを挙げたのであれば、なぜ浦上天主堂の瓦礫を撤去したのか、今風に言えば『ブーメラン』になるのだ。

浦上天主堂


私はキリスト教の信者ではないが、被爆者2世である。

いい加減な歴史観は許さない。




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