寄生虫

トヨタの小型車にヴィッツという製品があるが、長崎の一部では「醜い」「不細工だ」ということを『びっつんなか』と言う。

電話をかけて「○○さんのお宅ですか?」と尋ねると「はい、そうですよ」と答える。宮崎では『じゃっどん』と言う。

佐賀のタバコ屋さんに行って「タバコくださーい」と声をかけると『なーい』と返事が返って来る。

「あれがさー」「こうなってさー」という「さー」の部分を熊本では『ほー』と言う。

「取ってくれ」という意味を、博多弁だと「取ってやれ」という意味で『取っちゃらんね』と言う。

「どんな」という意味を福岡では『どげな』、長崎では『どんげん』、熊本では『どげ』、鹿児島では『どげん』、大分では『どげえ』と言う。

「だから」という意味は、福岡では『やけん』、長崎では『やっけん』、熊本では『やけ』。「だからさー」は福岡では『やけんくさ』、熊本では『やけほー』。

「・・のように」という意味は、福岡では『ごつ』、長崎では『ごと』。




「・・のように」という表現は「ごとく」から来ていて、いわゆる武家言葉だ。

ところがこれらとは別に、福岡県や長崎県などの北部九州には石炭が出る炭鉱が点在している。これは南北に別れていた九州が阿蘇山の大規模な噴火によってつながり、その火山活動で大量の木材が北部九州で炭鉱脈を形成したとされている。

有明海が潟の海になったのも、筑後川が阿蘇山の大量の火山灰を運び込んだからだという。

それはともかくとして、明治以後の産業革命に石炭は大きな役割を担っていて、その採掘作業の労働力が朝鮮半島からやって来た。

労働力を売ることで賃金を得られたから、群がるように朝鮮人たちが炭鉱に集まって来た。もちろん自主的に。

穴を掘るのに学歴とか知識とかは要らない。体力があれば他は必要としない。

日本に併合されるまでの韓国は大韓帝国だった。帝国だから王朝があったわけで、両班と奴婢に分かれていた。その奴婢階級が労働力をカネに代える手段として西日本の炭鉱へ渡って来た。

だから炭鉱地を中心として朝鮮語が広まった。

地元の日本人たちも差別意識はなく、「同じ日本人だ」として受け入れていた。

だから福岡の飯塚とか長崎の池島などに朝鮮語の単語が残った。

友達のことを「チング」と言って何の違和感も持たなかった。タバコは「タンベ」だし、それらの言葉は正式なものではなく、どちらかと言うと不良(今で言うヤンキー)が使うスラングのようなものとして広まった。

現代風に言えば「あいつはオレのダチだからよう」といった表現を、昔の九州人は「あいつはオレのチングだからよう」と言っていたわけだ。

北部九州には何の違和感もなく、下級言葉として朝鮮語は定着した。

それは言葉だけではなく食べ物もそうだった。

炭鉱で金を稼いだ朝鮮出身者たちが給料日になるとヤマを下りて繁華街に遊びに来る。それで繁華街に朝鮮人の口に合うような料理店や娯楽施設が立つようになった。

だから博多料理には半島由来のものが多い。明太子にせよモツ鍋にせよトンコツにせよ。

一方の長崎では、炭鉱の多くが離島にあってなかなか繁華街へ出て来ることはできなかった。

しかしかつての長崎鮮魚市場は長崎港の中にあって、以西底引きの船団の母港にもなっていた。

だから長崎で朝鮮文化を残したのは、どちらかと言うと漁船の船員たちだったような気がする。

何か月も漁をして大金を抱えて上陸すると、夜の繁華街で大盤振る舞いをする。妻子を半島に残して来たような朝鮮人は遊びたい放題だったと聞く。

戦後の関西地区に集まった朝鮮人の由来とは違って、北部九州の朝鮮人は労働力として集団就職してきた人々だったのである。それは冬が長い東北地方のお父さんたちが都心へ出稼ぎに来るのと同じで、ひとつの国だったからだ。

しかし大東亜戦争がはじまると、国民は勤労奉仕を求められるようになって日本へ「出稼ぎ」に来ていた朝鮮出身者も勤労奉仕に駆り出された。これは人種差別などではなく、逆に同じ日本人として扱われた証拠である。




朝鮮族は日本列島へ「出稼ぎ」に来る一方で高句麗の先にある満州へも出て行った。

朴正煕は将校として満州へ出向いたが、他の人々は日本人の女中や下僕としてハルビンなどに働きに来ていた。しかし地元の満州族から差別を受けて「日本人の名前がほしい」と言い出した。

日本人になりすまして見栄を張りたいというわけだ。

もともと朝鮮は元の属国にされ、多くの貢ぎ物をささげていたという歴史を朝鮮自身が認識している。

日本人になりすますことによって朝鮮族は満州族を逆に見降ろすことができた。

常に弱い者の上に立つことを目指すとしか考えない、哀れな民族だからだ。

日本名は押し付けられたものではなく、彼らが望んで名乗ったものだった。

日本名がいやなら在日の人々は本名に戻せば良いだけのことであって、創氏改名は併合当時の大日本帝国朝鮮総督府が本籍地を朝鮮に有する朝鮮臣民に対して「許可」したものであるというのが正しい歴史。

「許可」と「強制」はまったく違う。

ありもしない「強制」がどこから出て来るのかというと、それが「朝鮮人が自分の立場を有利にするための工作」だからだ。被害者の方が拳を上げやすいからだ。




何が言いたいのかというと、関西や関東などに根付いているコリアン・コミュニティと九州における朝鮮文化は成り立ちが違うということ。

しかし朝鮮人の本質は違いがないということ。

日本中の朝鮮学校の生徒が喧嘩のしまくりで日本人に同化しようとする気配を示さない。「我々は日本人と一緒になる気はない」と態度で示している。

とするならば、彼らが何を目指しているのかと考えれば「乗っ取り」しかない。

以前の記事で書いたが、日本には積み重ねがあるが朝鮮や中国は自らの積み重ねをことごとく破壊し続けた歴史しか持たない。

その根無し草のような民族が、歴史の積み重ねを持っている国を「乗っ取る」というのか。それは妄想であり愚かな願望でしかない。




「取ってください」と言うべきところを博多弁では「取っちゃらんね」すなわち「(私に)取ってやりなさい」と表現する。この依頼関係の逆転は何を意味するかというと、これが朝鮮文化の流入による結果なのだ。

少なくとも日本が積み重ねて来た精神文化には「取っちゃらんね」「しちゃらんね(してやれよ)」はあり得ない。

「通名報道しちゃらんね」


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