武蔵と大和と福一と小保方

産経デジタルに総合オピニオンサイト「iRONNA」というものがある。
なかなか読みごたえがあるので毎回楽しみに読んでいる。

今日はその中から『戦艦武蔵の46センチ砲と日本の技術力』という記事を読んでみた。

戦艦武蔵と言えば誰もが知る戦艦大和の姉妹艦であり、武蔵は長崎で、大和は呉で建造された。

武蔵は2015年3月に、フィリピン沖シブヤン海で沈没しているところを発見されたが、その初代砲術長だったという人物が永橋大佐だったという。
永橋大佐は戦艦陸奥や金剛の砲術長を歴任した上で武蔵に就任したが、昭和18年2月に退艦し海軍兵学校の教官となっている。

その後昭和19年10月にレイテ沖海戦に出撃した武蔵はアメリカ軍によって撃沈された。

永橋大佐の多くの教え子が武蔵とともに海神(わだつみ)となって沈んだ。




呉市にある海事歴史科学館には、戦艦大和をはじめとする造船技術の歴史を展示している。

黒船騒ぎに驚いた徳川幕府は勝海舟らに命じて、神戸の海軍伝習所などの操船技術と軍艦の造船を急がせた。
なぜ長崎で戦艦武蔵が造られたかというと、唯一の貿易港だった長崎には外国からの船舶の修理ドックがあり造船技術がイギリスやオランダからもたらされていた素地があったからだ。

1934年(昭和9年)、ロンドン海軍軍縮条約の失効の前年、帝国海軍軍令部は超大型戦艦の建造を艦政本部に要求。

第一号艦(大和)が呉、第二号艦(武蔵)が長崎で建造されることに決定。
その主砲は18インチ(46センチ)砲という世界最大級のものだった。

しかし大和の主砲を試射したのは真珠湾攻撃の前日のことであり、空母の艦載機による奇襲攻撃の成功を受けて、軍内部には航空兵力主体論が出始めていた。

1942年(昭和17年)に連合艦隊の旗艦となった一号艦はミドウェー作戦に投入されるが、当時の艦隊陣営は空母を前衛部隊とし戦艦を主力部隊として後方に配置していたために、大規模なアメリカ軍による艦載機の攻撃を正面から受けたのが連合艦隊の空母だった。

ミドウェー作戦は同年5月に始まり6月には大和は山口県岩国市にある大日本海軍艦艇停泊地に帰港した。

同年8月にはガダルカナル島の争奪戦が始まるが、一号艦の最前線投入はなかった。

1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦が始まる。
このレイテ沖海戦とはフィリピン沖海戦とも呼ばれ、アメリカの植民地だったフィリピンを日本軍から奪還するための上陸機動部隊をアメリカは送り込んでいて、それらを迎え撃つための海戦がおこなわれた。
そしてこの海戦におけるシブヤン海で二号艦(武蔵)が沈むこととなる。
すでに戦闘の主力は主砲の打ち合いから、潜水艦による魚雷攻撃と航空機による雷撃に移っていた。

戦艦巨砲の時代から潜水艦と空母の時代の幕を開けたのは帝国海軍自身だったのである。

実は大和型戦艦の三号艦というものがあった。のちに空母に改造された『信濃』だったが、これもまたレイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅したことを受けて呉へ帰港しようとしていたが潜水艦攻撃を受けて沈没した。

1945年(昭和20年)に入ると南方諸島の滑走路などが連合軍によって掌握されたことから航続範囲として日本への本土爆撃を許すことになる。
この際、アメリカ軍機によって投下された機雷が呉軍港・広島湾・関門海峡などに大量に敷設された。機雷除去に手間取った日本海軍は、アメリカの沖縄侵攻を許してしまうことになる。

同年4月6日、菊水作戦(水上特攻)のために一号艦は徳山沖から沖縄へ向けて出撃。

沖縄に上陸したアメリカ軍の艦船を振り向かせ、沖縄までたどりつけたならば自力座礁して浮き砲台として陸上戦を支援せよとの命令を受けていた。

すなわち沖縄は日本国から見放されたのではなく、逆に多大なる犠牲を覚悟してまでも守ろうとしていた史実がある。

そして一号艦はアメリカ軍の航空兵力によって撃沈され沖縄までは届かなかった。




「iRonna」は語る。

大和建造の設計主任だった牧野茂氏が語ったこととして「大和には世界最大の46センチ主砲があり、その防御力は1.5トンの砲弾の直撃に耐えるものだった。このことから世界中の戦艦の砲弾に耐えられることとなり文字通りの浮沈艦となるはずだった。設計陣はこの防御にこだわり成功させたことからこれらが破られた場合の研究が十分ではなかった。」

また砲術の専門家である黛氏は語る。「大和にはさらに沈みにくくする具体的な提案を出したが取り上げてもらえなかった。専門家が完全な設計をしているのだから口を出すなと言われた。」

この慢心が招いた大きな犠牲と失敗は、福島第一原発の事故に通じるものがあるのではないか、と。




さらに私は、STAP細胞の研究をしていた小保方晴子氏が理化学研究所から追放された件にも通じるような気がしている。

「STAP細胞はあります」と明言していた研究者が一方的に排除され自殺者まで出している。

この騒ぎの真相はまだはっきりとはしていないが、落着したわけでは決してない。

それは福島原発のことにも、大和の防御能力への過信にもつながる日本人の悪癖が脈々と流れ続けている結果のように思えて仕方がない。

「大丈夫、大丈夫」は、どこまで信用できるのだろうか。

ねぇ東大の先生方・・・



皆さん、ご機嫌よう。









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