駅伝ランナー

我々社会人は、次の世代に「社会」をたすきリレーする義務を負っている。

好き放題に食い散らかして良いはずがないし、どこかの政治家のように無責任なことが許されるはずもない。

なぜならば我々世代は、戦場に散った先人が命をかけて残してくれた国土と国家を受け継いだ義理があって、だからこそ次世代に引き継ぐ責任を負っている。

これは右だの左だのといった観念論ではなく、まぎれもない事実なのだ。

「天皇には戦争責任がある」と言って右翼から銃撃された市長がいた。

ではこの市長が左翼だったのかというと別にそんなことはない。

戦争当時の為政者に戦争責任があったのは当たり前のことであって、だからこそ陛下はマッカーサーの元を訪ねられている。

その結果として現在の皇室をお残しくださった。

靖国神社がさも右翼の本拠地であるかのごとくに中国・韓国は攻撃しているが、大東亜戦争に命を落とした内外の兵士を祭って何が悪い。朴正煕は日本軍の将校として戦ったではないか。

政治家の靖国参拝を非難する政治家がいるが、彼らは誰からこの国を引き継いだのだろう。

おそらく満州で終戦を迎えた兵士が中国の捕虜になって、社会主義への洗脳を受けたからだろう。

中国の歴史とはスクラップ・アンド・ビルドの繰り返しであって、積み重ねて来たものではないからだ。

それは朝鮮も同じこと。常に新しい王朝があっただけ。文化や哲学の引き継ぎなど何もない。

しかし我が日本は先人から受け継いだ日本という国家を、将来の人々へ適切なかたちで引き継ぐ責任がある。そうでなければ命を賭してまで残してくれた先人に申し訳が立たない。

繰り返すが、これは右でも左でもない当たり前のことなのだ。

日本という国を残したのは、国会議事堂の「先生方」ではない。マラリアや飢えに苦しんだ名も無き兵士たちでありシベリアの寒さに苦しんだ兵士たちだ。

彼らは職業軍人ではなく、八百屋や床屋のお父さんたちだった。

そうした人々の犠牲の上に今の日本は成立している。

犠牲と言えば東京大空襲に代表される「無差別攻撃」の死者や、ヒロシマ・ナガサキもありはする。

戦争とは何かと考えたとき、差別や憎しみを連想する。

しかし中国で起きた「文化大革命」や、朝鮮で起きた「保導連盟虐殺事件」のような狂気に満ちた虐殺は日本人は起こしていない。

なぜ南京でだけ日本軍が20万人もの民間人を殺さねばならなかったのか、どうして他の地域では同様のことが起きなかったのか、説明がつかない。

彼ら「歴史の積み重ね」を持たない国が日本を嫉妬しているだけだ。

私はかねてから「日本人は覚醒した」と言って来た。

「変化した」のではなく「覚醒した」のである。

今までどんな夢を見ていたのか。戦後の「自虐史観」という悪夢だ。

無理もない。学校の教師が「日本は悪いことをした」と教えて来たのだから。

しかし特攻機に乗り、硫黄島に渡り、あるいは片道燃料の戦艦大和に乗った若者たちの犠牲の結果こうして現在の日本があることを忘れてはいけない。

その認識があってこそ、次世代に引き継ぐことができる。

その認識を否定する「根無し草」のような団体が何をどう子供たちに引き継いで行けるだろう。

もう一度だけ言おう。

私は右でも左でもない。地に足をつけて事実を見つめているだけだ。




皆さん、ご機嫌よう。







スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR