学校で教えない日本の近代史

大東亜戦争敗戦後の1951年サンフランシスコ講和会議において戦勝国である連合軍は、日本に対して厳しい賠償と制裁措置を求めた。
下記はソ連(当時)が提案した米英中ソの4ヶ国での分割統治の案。

ソ連(赤)  :北海道/東北
アメリカ(青):関東/中部/関西/沖縄
中国(茶)  :四国
イギリス(緑):中国(地方)/九州

米英中ソ   :東京
米中     :大阪

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中華人民共和国が成立したのは1949年10月1日であり、国民党が建国した中華民国は首都を台北に移した。
サンフランシスコ講和条約が発効したのは1952年4月28日だったが、講和会議そのものは1951年9月4日から開催され、49カ国の署名が得られたのは1951年9月8日だった。

吉田茂首相を代表とする日本以外に連合国51カ国が参加したが、中華人民共和国(北京)代表の参加をソ連のグロムイコが取り上げてポーランドとチェコスロバキアが同調したものの、議長国であるアメリカのアチソンが議題とは関係がないとして却下した。

北京の中華人民共和国を承認していたのはイギリスとソ連であり、台北の中華民国を承認していたのはアメリカだった。
そのために上記の日本分割案の図では、四国地方の統治が中華民国(台北)の国旗で描かれている。
会議の結論として「サンフランシスコ平和条約」が締結されたが、満州・中国全土・台湾に北京政府の主権を認めようとしたグロムイコ案が却下されたことによって、ソ連・ポーランド・チェコスロバキアの3国は講和条約への署名を拒否している。

なお講和会議に招請されながら参加を見送った国がある。インド、ビルマ、ユーゴスラビアである。
インドが参加しなかった最大の理由は1950年に勃発した朝鮮戦争だった。
ここで北朝鮮を応援するソ連ならびに中華人民共和国と、南朝鮮を支持する連合国との争いに巻き込まれるのを避けたいという思惑があった。
トルーマン大統領が、朝鮮戦争に原爆を使用することも辞さないといった発言をしたことも影響している。

一方で講和会議に招請されなかった国がある。
北京政府・台湾政府・北朝鮮・南朝鮮およびモンゴル人民共和国である。
北京・台湾の両政府が招請されなかったのは、米英による承認の違いからであり、南北朝鮮は内戦の最中だったからである。
大韓帝国はその後日本に併合されていて日韓の間に戦争は起きていないことを理由にして英国が条約署名に反対し、米国も韓国臨時政府を承認していなかったことから李承晩の参加希望を却下した。



以上が簡単なサンフランシスコ講和条約のいきさつであるが、ソ連提案による「日本分割統治」計画を見るとぞっとする。

この分割統治を決定的に退けた演説がある。
セイロン(現スリランカ)代表だったジャヤワルデネ氏の演説だった。
長文なので抜粋をご紹介したい。

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何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。

それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをしたという出来事が思い出されます。

セイロンに於ける我々は、幸い侵略を受けませんでしたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害、並びに我国が連合国に供出する自然ゴムの唯一の生産国であった時に於ける、我国の主要産物のひとつであるゴムの枯渇的樹液採取によって生じた損害は、損害賠償を要求する資格を我国に与えるものであります。

我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。

大師(ブッダ)のメッセージ、「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる 人は憎しみによっては憎しみを越えられない 実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。」この言葉はアジアの数え切れないほどの人々の生涯を高尚にしました。

仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム(タイ)、インドネシアそれからセイロン(スリランカ)に伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。

これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。

この共通文化は未だに在続しています。

それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。

又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々(街の中にいる普通の人)からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。

我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません。

そうであるから我々は、ソ連代表の云っている、日本の自由は制限されるべきであるという見解には賛同出来ないのです。



J・R・ジャヤワルデネ (元スリランカ大統領)

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この心を打つ名演説によってサンフランシスコ講和条約は成立した。
よって日本国政府は、国際復帰の第一号としてスリランカと外交関係を結んだ。

学校で教えない日本の近代史である。

それにしても日本の仏教はないがしろにされ過ぎてはいないだろうか。



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