民 意

「国民の民意」という不確かなものをあたかも金看板のようにむしろ旗に貼りつけて「戦争法案反対」と日教組の連中がやっている。
そこに「国民の民意」はない。日の丸・君が代を否定する団体がどうして「国民の民意」を代表することができるだろうか。

日本国民が民意を表するにはどのような方法があるか。
選挙でしかない。
では直近の選挙は何か。
9月13日投開票だった山形市長選挙である。

元経済産業省職員である佐藤孝弘候補(自民、公明、次世代、改革)と、元防衛省職員である梅津庸成候補(民主、共産、社民、生活)の事実上の一騎打ちだった。
山形市は昭和41年以来非自民主流の市政が続いていたが、歴史的な転換を向かえた。

民主党の推薦を受けて立った梅津氏は主に安保関連法案への反対姿勢を主張の柱に立てて論戦を戦った。
そして梅津候補の応援に、吉村美栄子山形県知事、市川昭男現山形市長、岡田克也民主党代表、枝野幸男民主党幹事長、長妻昭民主党代表代行、蓮舫民主党代表代行などの面々が次々と立った。
中でも世間を騒がせたのは、維新の党の東京組と呼ばれる柿沢末途幹事長が個人的ではあるものの梅津候補の応援に回ったことから大阪維新の会の反発を招き党の分裂を招くきっかけを作った。
それほど、この市長選挙は与野党の「代理戦争」だったのである。

佐藤候補は山形市政の財政立て直しであるとか地方自治の役割を丁寧に説明していたのに対し、梅津候補は民主党に焚きつけられるがまま安保法制一色で戦った。
それで梅津候補が勝ったならば、「ほれ見ろ、これが民意だ」と言うこともできただろう。
しかし賢明なる山形市民は佐藤候補を選んだ。

見よ、これこそが民意なのである。

「戦争法案、絶対反対」と叫ぶ声の高まりを「これぞ民意だ」と勘違いし、それに相乗りすれば選挙に勝利できるだろうと読んでいたかどうかは本人に聞くしかないのだが、それらの声が無知で偏った者たちの声であることに気が付いていなかったという不幸である。
「○○県教員組合」という旗の元に集まった群衆の声を民意だと勘違いするほど愚かな者を、市長に選ばなかったのは山形の理性だと評して良いだろう。

そして全国の人々は気付くべきである。
「何が民意なのかは選挙結果で決めるべし。声の大きさで決めるような稚拙なことであってはならない」ということを。

それにしても各学校は2学期が始まっている。
なぜ全国の教員が国会前に集まることができるのだろうか、不思議でならない。
とは言うものの、昭和40年代の私の担任教師も、児童に自習をさせながら赤い腕章でどこかへ行っていたのだから、懐かしい気持ちはある。
成長のない人々だこと・・・

警視庁機動隊に公務執行妨害で現行犯逮捕された人物は、どこの先生だったのだろう。



皆さん、ご機嫌よう。




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