北朝鮮の作戦勝ち

やっぱりだ。
韓国で反日感情を煽ると米韓関係までおかしくなる。このことは「誰の利益か」と言い続けて来た私の持論が現実味を帯びて来た。

ソース元はニュースタウンでありURLは以下の通り。
http://www.newstown.co.kr/news/articleView.html?idxno=207410

サンフランシスコ州立大学のソ・ジョンヒ教授の論文が紹介された。
そこには「挺対協が展開する不純な遊びは中断させなければ。慰安婦問題を韓米日安保協力体制を破るために悪用している」とする見出しが躍っている。

一読の価値はある。
長文の論文なので中略を混ぜながらご紹介しよう。

(引用ここから)

190人の慰安婦を調査したところ、88%に当たる168人がまさに脱農村時期の1937-44年の間に慰安婦になった。
都市を欽慕する一種のゴールドラッシュが盛んだった時代に、家庭を飛び出した娘が人身売買団のよい餌食になったのである。
181人の慰安婦を調査した結果、そのうちの4分の1以上がすでに家族と離れて家政婦、工場労働者、食堂、妓生の家、接待婦などとして働いていた途中、慰安婦になっており、66%程度が満州、台湾、中国などに搬送されていった。

慰安婦へ行くことになった場合は、家庭をすでに出ていた女性だけに該当するのではなかった。
家庭で親や兄たちから暴力を受けていた若い娘たちが暴力を避けて逃げ、それで人身売買団の罠に引っかかったりもして、学びの新たな岐路を探して広くなった世界に逃げてくるというのが、即ち人身売買団の犠牲になって慰安婦の道に入ることもあった。
当時、人身売買団の手先は大部分が朝鮮人たちであり、軍隊慰安婦を経営する人たちの中には朝鮮人たちもかなりいた。

(中略)

ソ・ジョンヒ教授は、家庭から直に慰安婦という穴に落ちた恨多き慰安婦6人のケースを挺対協資料で簡単に見つけ出した。
こうしたことにも挺対協は、この事実を知りながらも慰安婦問題を政治問題として浮上させるために、社会に誤った認識を拡散させた。

挺身隊の主張によれば、全ての慰安婦は家庭にいた慎ましい娘たちだったが、ある日突然、日本巡査たちが押しかけてきて強制的に捕まえて、日本軍が運営する遊郭に入れたというのである。
ソ・ジョンヒ教授によると、これは事実ではない。 ソ・ジョンヒ教授が調査した6人の慰安婦の事例はこれを理解するのに明白な資料になる。

ムン・ピルギ、挺対協が毎週日本大使館の前で主催するデモに常に参加している女性である。
彼女は18歳になった年の1943年後半から2年の間に満州の軍慰安所で働いた。
1945年、解放を迎え、平壌 - 開城 - ソウルを経て故郷に行ったが、すぐに故郷を離れ、晋州 - 木浦 - 光州-全州を回りながら独身で過ごしていたという。

彼女は1925年、慶南金陽郡で2男9女をもうけた小さな商店(雑貨屋)で生まれた。
子供の頃、最もしたいことが勉強だった。父は「女子が勉強すれば、キツネ(※「狡猾」の意味)にしかなるものはない」と怒った。
母がこっそり一升の米を売って、普通学校に入れてくれた。
一週間も経たずに、父が娘を教室から連れ出し、本を燃やしてしまった。
それでも、怒りが収まらず、娘を死にもの狂いで殴って家から追い出してしまった。
本家に行っていたが、もう勉強をしないという約束をした後、家に帰ってきた。

勉強ができなかったことが恨になった状態で、9歳から家事をして、畑仕事もして、綿畑の草取り、繭紡ぎもした。
雑貨屋で売るサツマイモも蒸した。農作業をするたびに、ご飯を炊いて野に運んだ。
そんな1943年の秋のある日、村に住む日本の手先役をする50代のおじさんが、勉強も出来てお金も稼ぐことができる場所に送ってくれるというで、ついて行った。18歳だった。
その男と日本人巡査が彼女をすぐ車に乗せ釜山に連れて行った。
長い髪を切ってチマチョゴリを脱がせワンピースを着せた。そして、他の4人の女性たちと一緒にそのまま満州に移送された。
この物語を含めて、以下のすべての話は挺対協が編纂した「証言集」に収録されている。

この女性は、毎週水曜日12時に日本大使館の前に出て、日本が自分を強制的に連行して慰安婦にしたと謝罪と被害補償を要求しているのである。
この慰安婦の遊びは、スパイの妻であり、挺対協の常任代表ユン・ミヒャンが運営している。
問題は、この元慰安婦女性にではなく、挺対協にある。

イ・サンオク
イ・ドゥクナム
ペ・ジョクガン
ソン・シンド

(中略)

この6つの事例はごく一部のものに過ぎないが、当時の朝鮮の社会像をよく映している。
これらを悲劇的な奈落の底に追い込んだのは、日本巡査ではなく、彼女たちを生んでくれた父と母、兄たちだった。
当時、社会は開化の風に乗っていた。 若い娘たちは外の世界への憧れや、家庭における暴力の間で脱出を選択しており、その脱出は、そのまま人身売買団への進入を意味した。
このような事情をめぐって、「当時、朝鮮の娘たちはみんな家庭にあり、日本巡査たちが家庭に攻め寄せてきて娘たちを強制的に連れて行った。 謝罪を行い、補償をせよ」このように叫んでいるのだ。

(中略)

上6つのケースはすべて挺対協が作成した文章にある内容だ。 すべての事情をよく知っていながらも、挺対協は慰安婦を政治的目的で街に広めている。
ムン・ピルギは毎週水曜日に大使館前で「私の青春を補償せよ」とデモをしているが、挺対協が編纂した「証言録」によると彼女は日本に要求するものはひとつもない。

解放前後史の再認識、第1冊2部は「植民地下の女性の人生」という主題を扱っている。 ここには日本大阪産業大学のふじながたけし(藤永壮)教授、米シカゴ大学のチェ・キョンヒ教授、サンフランシスコ州立大学のソ・ジョンヒ教授の書き込みが膨大な分量の論文で掲載されている。
この三者の論文を見れば、韓国の挺対協の主張がどれほど荒唐無稽なものかを一つ一つ知ることができる。
さらに、論文が引用した根拠資料を見ると、日本人たちの調査が大変多い反面、韓国人の調査が非常に乏しい。

韓国国内の学者は、この分野についての研究をせず、挺対協は客観性が欠如した感情的主張をしてきた。
ゆえに、この分野を研究する多くの国際学者たちに恥晒しな結果をもたらしたということが、これらの資料に示されている。

(中略)

今の私達の社会を見てみよう。 韓国社会はおそらく世界で上位圏に属する性的風紀紊乱共和国だ。
国家を率いてゆく席はあるが、その席に座っている人たちは、無能と利己心でお互いに噛みつくことで1年365日を過ごしている。
このようなやり方で幾年を更に費やされたら、我々は北朝鮮に飲み込まれてしまうだろう。
もし今、北朝鮮に飲み込まれると、私たちの国の女性、国民は70年余り前に日本人から受けた苦痛とは比較さえできない悲惨な扱いを受け、命さえ失うことになるだろう。

昔の祖先の愚かさで、強大国に飲み込まれたのは事実だ。
もし日本に飲み込まれずに、中国やロシアに飲み込まれたのなら、ロシアの慰安婦の境遇や中国の慰安婦の境遇は、日本の慰安婦の境遇よりも良好だっただろうか。
私は絶対ないと思う。
それなら、慰安婦問題で日本を恨むよりも、愚かなまねをして国を奪われた私達のご先祖さまを恨まなければならないだろう。

しかも、ソ・ジョンヒ教授が指摘したように、ほとんどの慰安婦は無知蒙昧の韓国の父と兄たちの虐待が生んだ産物だったのだろう。
このような性格の問題を持って針小棒大して歪曲し、慰安婦問題を韓米日安保協力体制を破るために悪用していることは一日も早く停止されなければならない。
しかも、挺対協指揮部は、北朝鮮とスパイに深くかかわっている人たちが掌握しているではないか。直ちに、毎週水曜日に日本大使館前で繰り広げている水曜集会から中断させなければならない。
恥ずかしくてたまらない。

(引用ここまで)

つまり、何でもかんでも反日を煽ることによって利益にありつくことができるのは北朝鮮であり中国なわけだ。
そもそも朝鮮戦争時の折に、李承晩大統領は国内の刑務所に収監していた政治犯を釈放している。このことが原因となって、韓国国内に北朝鮮の工作員をあふれさせてしまった。
それらが青瓦台やマスコミ、あるいは宗教団体や教育界などに浸透してしまった。
だから政治は故意に腐敗し、司法は世界から非難されるような判決をわざと出し、マスコミ各社は反米反日を叫ぶ格好になっている。

挺対協が北のスパイだとはっきりと指摘しているのは我々日本人ではない。
アメリカ在住の韓国系の大学教授が言っているのだ。
「独島は我が領土」という歌を幼子に歌わせる教育を実施した北朝鮮は、実に賢いと言えるだろう。


皆さん、ご機嫌よう。




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