雲仙普賢岳噴火災害

長崎雲仙普賢岳の火砕流災害から今日で24年を迎える。

この災害では自然災害の被災者だという取扱いをずっとこの国は伝えて来た。

しかし真実はそうではない。



噴火が始まった当時、危険区域として非難命令がくだった。

その地域には体育館などへ避難した地元住民の家屋があったわけであり、指定区域への立ち入りは自治体および所轄警察の許可が必要になっていた。

ところが雨期に入ると、その溶岩の流域とされる「水なし川」に土石流が流れるのではないかとする取材陣が全国から集まった。

放送局などの取材陣と言っても、そのほとんどは下請け事務所であって、どんなメンバーが来ていたかは明確に把握できていなかった。

その取材陣に雇われたタクシーなども危険区域に入っていた。

ただし、あくまでも危険区域なので、ボランティア同然の地元の消防団などは同行していなかった。

あくまでもマスコミは「自己責任」で立ち入っていたことだったから。

ところがあるスタッフの一人が、避難して無人になっている民家へ侵入して、電話や電気を勝手に使うという事案が発生した。

それを受けて地元警察と消防団が、彼らマスコミの監視のために同行せざるを得なくなった。

そこへ大火砕流が襲ったというわけだ。それが24年前の6月3日である。

警察や消防団が、あたかも取材陣を守ろうとして同行したかのような表現は、マスコミの作り話なのである。



島原の消防団の若者らは、普賢岳によって殺されたのではなく、マスコミの傍若無人な取材方法によって殺されたのである。




このことは『狼魔人日記』というブログに詳しい。

URLは下記の通り。

http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/eccaf0b2175a9dda1e5863bfd6de766a




皆さん、ご機嫌よう。





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