ひねくれる韓国

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は、幕末から明治にかけての重工業施設を中心とした「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。その中には、「軍艦島」と呼ばれる端島炭鉱(長崎市)や官営八幡製鉄所(北九州市)などが含まれている。

順調にいけば、6月28日からドイツで開かれる世界遺産委員会の審査で、正式に登録が決定する運びだが、韓国から「待った」がかかったのだ。

■韓国「強制労働の事実を無視している」

韓国は、これらの施設で「朝鮮半島出身者が強制労働させられた」として、これまでも勧告阻止を狙った反対運動を繰り広げてきた。

イコモスの勧告が発表された後も、「日韓の外交当局者が東京で協議を行ない、韓国側は日本に申請の撤回を要請する」と報じられている。

一方、日本政府は、「今回申請の対象となるのは1850年~1910年であり、朝鮮半島から労働者が徴用された期間にはあたらず、歴史的な位置づけや背景も異なる」と主張。日韓併合は1910年で、国民徴用令が施行されたのは1939年7月。はじめは適用を免除されていた朝鮮でも実施されたのは、1944年9月~1945年8月までの11ヶ月間であるためだ。

菅官房長官も会見で、「韓国が主張するような政治的主張を持ち込むべきものではない」と不快感を表明した。

(以下略)

http://dmm-news.com/article/964543/

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つまり、この歴史的事実から逆算するならば、朝鮮人は併合の以前に日本へ「出稼ぎ」に来ていたことがうかがえる。
そうでなければ、「明治日本の産業革命遺産への参加」が成り立たないことになってしまう。

当時の石炭産業というものは、それまで木炭でおこなっていた生産が、黒船の来航と共に一気に近代化したファクターであって、最先端の花形産業だった。
そこへ来て身分制度の廃止を受けた国民が、「腕ひとつ」で成り上がろうという雰囲気に乗って、われ先にと炭鉱へ集まった。
その中には、差別を受けていた朝鮮の奴婢たちも渡来したのかも知れない。「腕ひとつ」で成り上がるために。

炭鉱で汗を流したのは朝鮮人ばかりではない。明日の暮らしを夢見た多くの日本人が働いていたのである。
それが夕張であり磐梯であり三池であり、そして端島(軍艦島)だった。
それらはあくまでも「職場」であって「監獄」ではない。

近代日本の発展の基礎が「監獄」だったとするならば、ここまで世界から信用される国になるはずがない。

最後まで操業した炭鉱は長崎県の池島だった。閉山は2001年である。
労働組合は最後まで抵抗したが、組合長の首つり自殺を契機に閉山が決定した。

その後池島は、世界の最先端の採炭技術をアジアの途上国へ伝えるために、インドネシアやタイなどの研修生を受け入れて安全教育などで貢献した。
炭鉱としての操業は終えたが、技術の伝承として数年間の継続があった。ほとんど報じられることはなかったが。

来日中に生まれた少年は日本語しか話せないために、両親とともに帰国することができず、長崎市の配慮で一家そろって帰化している。
どれほど日本がアジアへの貢献を考えていたかという証拠のような話だ。

私は先のブログ『世界遺産』において軍艦島に「朝鮮人の折檻部屋」があったことを明記した。
そのことは間違いなかろうと思う。
しかしそのことと、強制連行を結び付けるものは何もない。

あるいは併合後の徴用に当たるのであろうか。だとすれば朝鮮生まれだとしても日本人としての扱いを受けたのであって、日本人と同様に炭鉱に入ったはずである。
何故か、稼ぎが良かったからである。

オランダに植民地にされていたインドネシアを救うために、日本兵は命をかけた。私の伯父も南方戦線に散った。
インドシナでもビルマでもそうだった。
そんな国民が朝鮮人だけを奴隷にしたのだろうか。台湾はどうだったろう。

どこか変だとは思わないのだろうか。
「強制労働の事実」とは、どこから来るのだろう。
感情的ではなく、論理的におこなわれる必要がある。

それもできないのであれば、1000年ひねくれているが良い。




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