未完成

好きな曲のひとつに、シューベルト作曲「交響曲第7番(旧第8番)ロ短調D759 未完成」というものがある。
特にチェロがワルツのリズムで流れるように謳い上げる旋律が好きだ。

演奏で言えばやはり、ヘルベルト・フォン・カラヤンが振るベルリンフィルハーモニー管弦楽団に軍配が上がるだろう。

交響曲は通常四つの楽章で構成されており、アレグロ・ソナタから始まって、緩徐楽章、スケルツォ、フィナーレと続く形式が一般的だ。
だからこれらの4楽章が出来上がってはじめて「完成」ということになる。

彼シューベルトは第2楽章までを書き上げて、第3楽章にあたるスケルツォのスケッチまで作った時点で何故か別の交響曲に着手し、その途中で逝去した。
そのために2楽章だけの作品は「未完成」と呼ばれ、作品として数に入れるべきなのかが後年まで問いただされることとなった。8番になったり7番になったりするのにはそのような事情がある。




さて、私が今回語ろうとしているのはこの曲についてではない。未完成という言葉の意味についてだ。
普段何気なく使っているこの言葉だが、考えてみるとほとんど全てのものが未完成なのではないかと、そうぼんやり考えた。
「終わり」が来ない限り「未完成」なのである。
だから死ぬまで人間もまた「未完成」だというわけだ。

松下幸之助氏の有名な言葉にこうある。「成功する前に諦めてしまうことを『失敗』と呼ぶ」。言い得て妙だが、だとすれば成功してしまうということは後が無いという意味か?
完成するということはそういう事になりゃせんか?

「道の途上」でなぜ悪い。
仮に歩みを止めたとしても、諦めたわけではなければそれは「ちょっとひと休み」なのではなかろうか。
なぜならば、あの人もこの人も「未完成」なのだから。
休憩を取らない登山はあり得ない。

トヨタのカローラにしても、もう何代目かわからないほど進化を続けているけれど、あれもまた「道の途上」であって決して完成形ではない。

4歳の子供が「未完成」ならば、70の爺ちゃんもまた「未完成」だろう。エンディングがやって来ていないのだから。

これを「言葉遊び」と捉えると寂しい。
また、高齢者に対して「あなたはまだ未完成ですよ」と言って嫌われることもあるかも知れない。
しかし本質的な部分で人間はこの世にいる限り「未完成」が正解のようだ。

中島みゆきのデビュー曲「時代」にこのような歌詞がある。
「今日は倒れた旅人たちも、生まれ代わって歩き出すよ」

ほら、どこにも終わりなんてないではないか。
終わらない以上、「未完成」で良いんだったよね。

とりあえず今日から何を始めようか・・・






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