リーインカーネーション

「袖すり合うもたしょうの縁」という言葉がある。

この「たしょう」というのは「多少」と捉えている人が多いのだが、実は「他生」のことであって、いわゆる「前生」のことである。

前世で関わりがあった縁は、現世でもつながっている、という意味である。

輪廻の観念は仏教に根差しているが、この輪廻の観念を絶対的に否定して来たキリスト教文化圏で、「生まれ変わり」の情報が次々と報告されるようになった。

生後3歳くらいの小児が、過去生のことを語ることが良くあるという。

あるいは学んでもいないような外国の言語をすらすらと話すのだとか。

ブライアン・ワイスというアメリカの精神科医の教授が書いた「前世療法」という本は、世界中で翻訳されロング・セラーになっている。(日本ではPHP文庫が出している)

これを「非科学的だ」と批判する向きもあることは事実だが、日本には「縁は異なもの味なもの」という言葉もあるように、縁というものが何かしら人間関係に関わっていることは古くから言われていた。

「夫婦は、仇(あだ)の果し合いというカップルと、恩の返し合いというカップルとがある」とは私の母の言葉だったが、それなりの関係性は先天的に準備されていたということになる。

聞きかじった話では、天理教の教祖がこのようなことを言っていたらしい。

「因縁寄せて守護をする」と。

この意味は、似た者同士が集まるように出来ているということだとか。家系的に癌だの高血圧だの糖尿だのといった遺伝子疾病があるのはそういうことなのか。

だから、憎しみ合った同士は、来世でも知り合った挙句に憎しみ合う運命を背負うのだろうか。

それとも悪縁を断ち切る方法があるのだろうか。

道元禅師が残した「正法眼蔵」のことは前回で触れたが、「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」という言葉は現世で悪縁を断ち切る方法なのかも知れない。

そうすることで来世には悪縁の出会いがなくなるのかも知れない。

「人との出会いに恵まれている」という人はたまにいる。

自分で自分の人生を豊かにしている人なのかも知れない。



私は課題を持ち越しにしてはいないだろうか。反省点はかなりある。



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