「戦争」と「平和」

なぜ私が、アメリカによる戦時中の犯罪行為を取り上げ、なぜ朝鮮人の名誉を否定し続けるのか、という答えを今日は示そうと思う。

まず一つには私が長崎出身であり、他の地域ではおこなわれていない「平和教育」を被曝者二世として受けて育ったという事実がある。
これを間違って受け取ってほしくないのだが、ヒロシマ・ナガサキにおける「平和教育」とはアメリカの戦争行為を糾弾することが目的ではない。
日本を含めた全世界の参戦国が犯した戦争犯罪について、冷静にかつ公平に振り返ってみて、平和の尊さを確認することが本来の目的である。

だからこそ修学旅行で広島や長崎を訪れる児童や生徒たちは、普段触れることがない平和についての授業を受けるわけだ。

私の母は被爆者だった。
実家がある佐賀に農作物の買い出し(もらい受け)に行った帰りに、乗っていた汽車が途中駅で停止した。
長崎に原爆が投下された当日だった。
プルトニウム型の原爆がさく裂した数時間後の長崎市内を横断して、リュックを抱えた母は嫁ぎ先を探し回った。
嫁ぎ先は国鉄長崎駅のすぐ近くだった。
汽車を下りたのが道の尾駅。
そこから焼野原になった被爆地帯を縦断して歩いている。
だから直接の「被爆」を受けたわけではないが、放射能による「被曝」は受けているわけだ。

当時目にした光景を、母はずっと長いあいだ話そうとはしなかった。
話せばそれはアメリカへの憎悪に代わる。
しかし日本軍から殺された将兵の家族がアメリカに居ることもわかっている。
つまり「お互い様」だという意味で、母は原爆に触れずに生きて来た。

だが特定の国を責めるのではなく、朝鮮やベトナムのような戦争の愚かしさを後世に伝える必要があることを教えられた。
しかしすでに年老いていた母は、米寿を祝う子や孫を相手に「あの日」のことを語るのがやっとだった。

長崎以外で生まれ育った甥や姪たちは、祖母が被爆者であり、自分の母が被爆者二世であり、そして自分が被爆者三世だという事実をその日初めて知った。
被爆地長崎で生まれ育った我々は、当たり前のように受けて来た「平和教育」を何も知らずに育ったのが甥であり姪なのだ。
彼らにとっての戦争とは映画やゲームの中のことでしかない。

私はこの「長崎のジレンマ」を身をもって知っている。
責めたい気持ちと、許したい気持ちが混在している。

「硫黄島からの手紙」に出演した渡辺謙は、「原爆だけが戦争ではない」と言い放ったが、彼は理解を深めていない。
ヒロシマやナガサキは「戦争」を語っているのではない。「平和」を語っているのだ。
その広島の平和公園に来た修学旅行生たちが、どのような態度でいたのかはテキサス親父のリポートに詳しく載っている。
渡辺謙よりもテキサス親父の方が、よほど深く理解している。

だからアメリカ人も、こうした戦争の酷さを正面から受け止める必要がある。
日本人も、南京で何が起きたかを語る際に、数(マクロ)ではなく事象ごとのミクロを見なければならない。
韓国人も、20万人というマクロの数字だけを振りかざすのではなく、一人一人の不幸に目を向けなければならない。
言うなれば、渡辺謙氏が言っていることは朝鮮人の主張と変わりがないということになって来る。

そして、太平洋戦争時に日本軍が朝鮮でやった人権問題と、朝鮮戦争時に韓国政府が主導してやった人権問題がすり替えられてしまっている。
昨今、アメリカでは『米国の公立高校で使われている世界史の教科書に、旧日本軍による慰安婦強制連行など事実と異なる記述がある問題で、米国の歴史学者19人が「いかなる修正にも応じない」との声明を出したことが分かった。』(産経新聞記事より引用)
この韓国やアメリカの意固地さはどこから来るのかと言うと、もうこのブログでしつこく何度も書いて来たけれど、『竹林はるか遠く・日本人少女ヨーコの戦争体験記』から来ている。
起源はここなのだ。
この朝鮮半島を通り抜けて日本へ帰国しようとした一家が、朝鮮人やソ連兵あるいは中国の共産軍から虐待されながら生き抜いたという物語が、「平和の尊さ」を学ぶ良い教材としてアメリカの小中高で読み取り教材として広く採用された。
これに気が付いた韓国アメリカ人の団体が「ありもしないデッチ上げの作り話だ」として、逆に朝鮮戦争時に管理売春婦を強制された被害者らを、旧日本帝国の蛮行だったかのように偽造して拳を振り上げたのが真実なのだ。

つまり「日本人少女」のヨーコさんは「戦争の愚かさ」「平和の尊さ」を語っているにも関わらず、韓国系アメリカ人らは自らの民族を貶める作り話だとして、これを否定し本国では出版禁止にしている。
だからアメリカからも韓国からも、未来へ向けての平和運動は起こるはずがない。

真偽のほどは分からないにせよ、南京虐殺や731部隊のことを取り上げるのであれば、同時並行にベトナムでの枯葉剤作戦のこともイラクにおける劣化ウラン弾のことも取り上げなければならなくなって来る。
韓国はどうだろう。ハンギョレ21がベトナムにおけるライタイハンのことを取り上げた際に、退役軍人会が発刊元を暴力で破壊したではないか。
「平和」どころか「言論の自由」すら保障されないのが韓国の実態なのだ。

日本では個々の事件の責任を問うやり方は執っていない。
全体としての世界平和を求めているだけだ。
そのために集団的自衛権が必要だとするならば、それもまたやむを得ないだろうと考える。
中国・韓国が安倍首相を非難しているのは、単に韓国にミサイル防衛(MD)を置かれては困る習近平の立場上のことであって、そこには崇高な平和論は存在しない。

ここまで説明すればわかってもらえるだろうか。日本とアメリカ、日本と韓国の根本的な違いが。
誰が加害者だとか、誰が被害者だとか、そんな子供じみた話をしているのではなく、幼い子供がヨチヨチと崖道を歩いているのを見た大人が心配しているだけなのだ。
自由と民主主義の国だということが表看板のアメリカだったはずだ。
『声明はコネティカット大のアレクシス・ダデン教授らが取りまとめた。この教科書で慰安婦に関する部分を執筆した歴史学者も名を連ねている。声明は、米国で慰安婦像設置を主導する「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム」が公表した。「日本軍の性的搾取という野蛮なシステムによって苦痛を強いられた慰安婦に関し、日本と他国の歴史教科書の記述を抑圧しようとする最近の日本政府の試みに驚きを禁じえない」とし、安倍晋三首相を名指しで批判している。』(産経新聞より引用)
もしこれがアメリカの総意だとしたら、アメリカは原爆投下で世界から非難されなければならなくなって来る。

「戦争」を語るのではなく、「平和」を語るべき時代に入っている。

私が先日から奥歯に物が挟まったような表現で、「憎悪の連鎖を操っている団体がある」と申し上げて来た。
この団体は、アメリカ国内の歴史教科書という素材で、今度は日米韓の同盟関係にメスを入れようと企んでいる。
日本のメディアが、これにどこまで騙されるかが見ものではある。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR