中央日報を論破する

中央日報の1月4日付け社説を読んでみよう。

見出しは『外交安保の基盤は国益リアリズムだ』とされている。
はて、外交安保を妨害し国益よりも反日感情を扇動し続けたのが中央日報自身ではなかったか。それとも人事が総入れ替えになって、社風が一変したのだろうか。

記事の中身を読んでみる。
『昨年末の総選挙で圧勝した日本の安倍政権は周辺国の懸念にもかかわらず右傾化に突き進む態勢だ。瞬間瞬間の選択の岐路に立った韓国政府の悩みは深まるほかない。うっかり判断を誤らせれば国際的な迷子になるかもしれない状況だ。』
うっかり判断を誤らせれば国際的な迷子になるかも知れない、と言っているけれど、これまで散々判断を誤らせる報道に勤しんで来たのが中央日報だったことは、何より韓国国民がいちばんよく知っている。
いきなり聖人君子のような表現に出るのは卑怯者すぎる態度だ。

さらに『 「接近を通じた変化」という西ドイツの東方政策は絶え間ない対話を通じ東ドイツを説得するのに成功し統一の基礎になった。』という部分も正しい歴史認識が欠落している。
東西ドイツが統一できたのは、ソビエトにおけるペレストロイカを発端として社会主義陣営が自ら崩壊したことによるものであって、西ドイツが積極的に東方政策と対話を続けた結果ではない。
崩れるべき政権が崩れただけのことであって、それが自然の摂理だからだ。

『日本との冷え込んだ関係もやはり国益のためには必ず解決すべき課題だ。』という部分も矛盾に満ちた表現になっている。
繰り返すが、韓国の国益を無視して韓国国民を反日に追い立てたのは基本条約締結後50年間の中央日報の基本的姿勢だったはずだ。今さら何を言う。
日本の朝日新聞が、みずからの誤報を一部認めたように、中央日報もまた自国民の批判を受け止める必要がある。

『戦犯国の日本が慰安婦問題の解決策をまず出さなければならないというのは国際的常識だ。』という箇所を読むと、ほとほと韓国人は数十年しかたたない歴史すら正しく理解できていない証になっている。
戦犯国という表現を採る以上は、日本と韓国との間に戦闘状態があったことを意味する。
しかし実際には朝鮮人や台湾の人々は、大日本帝国の軍人として連合軍と戦っている。
つまり日本が戦犯国であるならば、日本と共に戦った朝鮮もまた自動的に戦犯国だということになるのであって、そのあたりをうやむやにしておきたいといった卑怯者の正体が見え見えになってしまう。

だから戦後の韓国が日本へ対して戦後補償を要求しても連合国側は同意しなかった。
日本と韓国の間には戦争は起きていないのだから。
もちろん抗日ゲリラのような組織が存在していたことは事実だ。しかし彼らが世界的に認められた「国家」でない限り、それは単なる反政府勢力でしかなかったわけであってソ連領まで逃走したのが金日成だったし、釜山まで逃げたのが李承晩だったわけだ。

またおかしなか所に出くわした。
『反日感情や対日強硬論に陥り実利を捨てる愚を犯してはならない。』とある。
これは全面的にこれまでの中央日報の報道姿勢を自己批判している文章だと受け止めて良いものなのだろうか。
180度変節した表現になっているように思う。
これを読まされる韓国の国民は、怒りに震えるのではなかろうか。

『日本との冷え込んだ関係もやはり国益のためには必ず解決すべき課題だ。』ともあるが、韓国出身で日本に帰化している呉善花教授はこう語っている。
『日本は必要以上に韓国との関係を修復しようとすべきではない。今は距離をおく時期に入っている』

日本語版で記事を報道する以上は、日本人が納得できるような書き方をする必要があるけれど、これでは「手のひら返し」ではあっても「上から目線」に変わりはないことになる。
セウォル号が沈没した際に韓国のマスコミは「三流国家だった!」と嘆いたではないか。
だったら気付いたはずの「三流国家」から再出発するしか道は残されていなかったのではないか。
あのアジア大会のザマは何だ、アジア地域全体を敵に回してしまったではないか。

実利だ国益だとカネのことばかり口にする前に、朝鮮族というものの本質をまず真剣に振り返ることから始める必要がある。
アメリカドルが金利を上げる方向へ舵を切った。
つまり途上国などに行き渡っていた米ドルは、アメリカへ逆流することを意味していて、外貨準備が不十分な韓国経済は通貨危機の再来を招きかねない。
日本の安倍内閣が朝鮮半島に手を差し伸べるのは、その後でも遅くはない。そのように考えている官僚は少なくないはずだ。

池に落ちた犬は棒で打て、という言葉はお宅のものではなかったか。




スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR