不自然な事件

元朝日新聞幹部社員だった人物がいます。
警視庁担当のキャップを勤めたのち、西部本社の社会部長を経たうえで自殺しているのですが、この息子が起こした事件が2003年7月に起きた「プチエンジェル」と呼ばれる渋谷赤坂女児監禁事件でした。
当時小学6年生だった女子児童4人が誘拐拉致されたうえで、容疑者である吉里弘太郎(29)が練炭自殺したというものでした。
逃げ出した女児が同ビル1階の生花店に駆け込んだことから事件が発覚します。
ところがこの吉里容疑者が「プチエンジェル」と名乗る児童買春デートクラブを経営していたことがその後の捜査によって判明。
容疑者が借りていた埼玉県久喜市のアパートから1000本以上のビデオテープと2000人に及ぶ顧客リストが押収さるとともに35億もの預金を持ちフェラーリを乗り回していたことなどが確認されました。
ところが大多数の顧客が偽名を使っていたことからリストの証拠能力は得られず、被疑者死亡ということで事件は幕引きとなったものです。

ところが当時マスコミがこの事件を取り上げて大騒ぎになっていたものが、ある日を境にピッタリと報道されなくなったのです。
そもそもこの事件は赤坂のウイークリーマンションで起こったもので、少女の通報を受けたのも赤坂署でしたが、何故か渋谷の地名が表に出て来ます。
また、4人のうち1人だけが逃げ出せたのも見張り役として手錠を掛けられていなかったのに、それがいつの間にか「手錠が外れた」に変わっている。

こうした不自然な点が多いこの事件、何か裏がありそうだと取材を進めたフリーライターがいました。
染谷悟さん38歳で、2003年9月12日に江東区の東京湾で刺殺体として発見されています。
時系列で見てみましょう。
誘拐事件が発生したのが2003年7月13日。
女子児童の家族が捜索願を出したのが同日の稲城署。
マスコミ発表による公開捜査が始まったのが7月16日。
吉里容疑者が自殺した(とされる)のも同16日。
脱出した女児が生花店に救けを求めたのが7月17日。
そしてフリーライターの染谷氏が知人と最後に電話で会話したのが9月5日。
その後知人に「旅に出る」という内容の染谷さん名のメールが届いたのが9月7日。しかしその発信元のアドレスは染谷氏が使用していたものではなかった。
染谷氏の刺殺体が発見されたのが9月12日。

染谷氏は歌舞伎町周辺の暴力団や中国人犯罪の取材をおこなっており、その関連で命を狙われた可能性が高いんですが、この「プチエンジェル事件」からマスコミが一斉に手を引いたことへの疑問もあったようです。
と言うのも、久喜市のアパートから押収された顧客リストが2000名に及んでいる中に医師や政治家の名前が混ざっていたとする報道が一部に見られたことから、何者かによる「強制的な幕引き」があった疑いがかけられているんです。

吉里容疑者の自殺方法に不自然な点があること。
公開捜査が始まった当日に容疑者が死亡していること。
警察は司法解剖もおこなわない中で、一方的に自殺と断定していること。
警察発表で単独犯と断定されたこと。
拉致に使われたとされるスタンガンが押収品の中に見られず、この指摘があった直後に現場である部屋から発見されたこと。
女児が逃げ込んだ生花店の証言がころころと変化すること。
赤坂で起きた事件を渋谷と報道すること。(これは警察発表に基づくものか)
顧客リストには偽名が使われているとして、証拠資料に採用しなかった警察の捜査方針のこと。
こうした多くの疑問点があるにも関わらず、すべてのマスコミがピタリと報道をやめたこと。

これが2003年の出来事でした。
ニューヨークの9.11の翌々年ですから、記憶にある方もおられるかも知れません。
なぜ今さらこんな話をしたのかと言うと、当時小学校6年生だった女子児童が11歳だったとして、11年が過ぎた現在は22歳になっている計算なんですね。
もし警察の公安部あたりが裏で手を回した事件だったとしたら、今でも監視されているのではなかろうかと、余計なお世話の考えが浮かんだのです。
「そろそろほとぼりが冷めたかな?」という軽い考えで「実はさぁ・・・」とやられると、非常に困る立場の人物がたくさん出て来るのではないでしょうか。

被疑者死亡のまま書類送検、という例の場合は額面通りに受け取ってはいけない場合もあるのかも知れません。


皆さん、ご機嫌よう。



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