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ロベルトソン号遭難事故

和歌山の串本町沖で遭難したオスマン帝国(のちのトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」を地元の漁民が救助したという話は有名だ。

これはのちのイラン・イラク戦争においてイラン在留邦人の救出にトルコ政府が協力するという話に発展する。エルトゥールル号の遭難が1890年(明治23年)で、イラン・イラク戦争が1985年(昭和60年)だった。

この日本人漁民による救出と救助者への介助という美談だが、これとそっくりな話が1873年(明治6年)に沖縄の宮古島で起きていた。ドイツ帝国の商船ロベルトソン号遭難事故のことである。

ドイツのハンブルグ港を出たロベルトソン号は、紅茶の交易をおこなうために清国の福建省にある福州港に入港し紅茶の積み込みをおこなった。

7月2日に出港した同船は、オーストラリアのアデレードを目指したが台風による天候悪化を受けて航路を北寄りに変更する。

暴風雨によって3本あるマストが折れ、甲板員に死者を出しながら同船は漂流し宮古島の南海上に流され、7月11日にサンゴ礁に座礁した。

遠見台で見張りをしていた宮古島の番人がこの遭難に気が付くが波高が高く風雨も激しいことから近寄ることができず、海岸で夜通しかがり火を焚いて生存者を励まし続けた。

翌7月12日。まだ風雨は強かったが、地元漁民の操船技術に優れた漁師たちが手漕ぎ船で救助に向かう。

救助されたのは6人のドイツ人と2人の支那人だった。

13日になり波がやや収まって来たことから、船長は船の荷物を陸揚げしたいと願い出て、漁民は何往復もして紅茶などの積み荷を運んだ。サンゴ礁に座礁したロベルトソン号は波に打ち付けられ続けて、最終的にはバラバラに大破する。

保護と治療を受けた船員たちは順調に回復し、琉球王府が所有する船を借り受けて福州へと出港したのは8月17日のこと。サンゴ礁の間を無事に通過できるようにと、池間島のくり船が伊良部島の沖合12kmまで水先案内をつとめた。



1876年、このことを知ったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、謝意を伝えるためにチクローブ号を日本へ派遣し宮古島に到着したのは同年の3月。

3月22日、日本政府、沖縄県、宮古島の代表が出席して博愛記念碑の建碑式がおこなわれた。

(宮古島キッズネットhttp://miyakojima-kids.net/german-ship.html、より引用)



あまり知られていない明治時代の日本人の外国人に対する博愛行動のお話でした。

宮古の人も立派な日本人だったということですね。





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硬派と軟派の二重人格がまき散らす猛毒 ショック死しても知らないよ

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