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新・器量のお話し

『器量のお話し』という記事を書いたのは2015年の3月だった。

ここでは、人格を器に例えて容量の多い少ないという意味で、ある僧侶から聞いたお話を引用したものだった。

要は、「家を建てたら病人が出る」とか「墓を新しくしたら死人が出る」などといった迷信じみたことは本当なのかという問いかけに答えるかたちで僧侶が言ったものだった。

人格の容量が多い人で、まだ容量に余裕がある人は新しいものを抱え込んでも問題は起こらない。しかし、容量が少なかったり余計なものをたくさん抱え込み過ぎたりしている人は、新しいものを取得するにあたって現在持っているものがテーブルの上から零れ落ちることがあるという意味だった。

だからそれを防ぐ方法として、器量(テーブル)を増やす努力をするか、もしくは余計なものは躊躇なく捨て去ることだという。特に子供の進学とか結婚とか出産とか、あるいは親の病気だとかいった際に、身辺を見回して余計な物を抱え込み過ぎてはいないかと省みることは大切なことだということだった。



さて、ここ数年の内に政界でもメディアでもスポーツ界でも国家間の外交問題でも、ありとあらゆるトラブルが続出していて時代が変わろうとしていることは、皆さんお気付きのはずだ。

上記の『器量のお話し』に照らし合わせた場合、古い価値観を持ち続けていたり、あるいは不都合なものを「見て見ぬふり」で放置して来たことなどが一気にあふれ出すことで、新しい時代が押し寄せているととらえることはできないか。

あるイギリス人がこう言った。「若いうちは社会主義が普通だが、30過ぎても社会主義ではバカだ」と。

「隣にはピアノがあるのに、どうしてウチにはないの?」という我が儘な子供は少なくない。つまり平等でなければならないという意味で「差別だ」と言いたいのだが、上記の僧侶に言わせると「器量も人それぞれで、100ccの容量の人もいれば2リッターの人もいる。200リットルもあるドラム缶のような化け物もいるかも知れないというのが社会だ」ということなのだそうだ。だからどうあっても平等でなければならないと言うのは幼稚な考えであって、その価値観で大人になってはいけないということなのだそうだ。

世界的に時代が変わろうとしているということは、子供から大人になろうとする潮目の変わり目なのかも知れない。

だから我が儘いっぱいで育って来たスポーツ界や政界が行き詰まってしまい、不都合な独裁を続けていた国家が衰退し、捏造記事で売って来た新聞社が発行部数を半減させるに至っているのも、時代の変化がこれまでのやり方を許さなくなっているということ。

女を囲い、男遊びにふけり、道楽にはカネに糸目をかけず、体を壊すまで酒浸りになり、首をくくるまで博打をやめないような生活態度が、もう限界に来ているということ。

僧侶は二つの対処法があると教える。余計なものを捨てるか、あるいは器量を増やすか。



紀州のドンファンと呼ばれた女たらしのお爺さんが亡くなったとか。

彼の器量はいかほどだったのだろう。



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