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敵を知る

中国というと「中華人民共和国」の略だから、70年そこそこの歴史しかない。したがってこのような場合に、古い大陸の話をする際の便利な呼び方がある。「支那」だ。これは現在の「China」の語源にもなった名称であって侮蔑でもなければ差別用語でもない。

万里の長城という建築物は、秦の始皇帝によって着手されたもので、匈奴(きょうど)の侵略から秦朝(支那)を防護し迎撃するための防衛設備だった。

これは農耕民族と遊牧民族の境界線という意味合いがあったので、支那とすればできるだけ北に造ってその勢力圏を拡大しようとしたのが秦朝と漢朝だった。しかしそうなると首都から遠く離れた場所まで常駐兵を派遣しなければならない。

よって勢力拡大ではなく、純粋に国土防衛の目的として首都北京からわずか100kmほどしか離れていない場所に長城を構えたのが明朝だった。

ということは、それより北は匈奴の地だと認めたようなものであって、満州や高麗などに住む蛮族、女真とか契丹とかの多くの部族に分かれていた。

遊牧民族なので襲撃や略奪は得意分野であって、定住して農耕を営む民族にとっては危険極まりない相手だった。

女真は遼から独立して金を建国したのが12世紀のこと。しかし金はモンゴル帝国と漢の挟み撃ちに遭って滅びる。生き残った女真の末裔は、モンゴル(元)の支配下に置かれて、朝鮮半島の北部に定住した。

最盛期を終えていた元が滅ぶと、小集団に分かれていた女真は明に服従する。

朝鮮半島北部の高麗が明によって滅ぼされると、高麗に代わって登場する李氏朝鮮(明の属国)が女真族の居住地域を征伐するが、満州最南部の朝鮮と接する鴨緑江や豆満江流域の女真族たちは逆に李氏朝鮮に反撃し勢力地域を奪ったり奪い返されたりを繰り返した。よって李氏朝鮮にしてみれば女真はまさに「蛮族」だったのであり手が付けられない暴れ者だったわけだ。

したがって女真とは元とも李氏朝鮮とも同一なのではなく、どちらかと言えば満州族の祖先なのかも知れない。日本と戦った清は満州族だったことから愛新覚羅なども登場するのだが、最初の首都を盛京(瀋陽)に置き、のちに北京に遷都している。

清が日本に敗れ、瀋陽を手放すと日本が占領統治するのだが、フランス・ドイツ・ロシアによる三国干渉によって支那に戻され、辛亥革命によって中華民国となって共産主義である中華人民共和国が出来上がる。その際に中国はモンゴルの南半分と瀋陽をかすめ取った。

現在の朝鮮が「最後の分断国家」だとされているが、実はモンゴルも中国とソ連によって分断されたようなものであり、その土地も実際には支那(中国)のものではなかったことは、万里の長城を見ただけで誰にでもわかろうと言うものだ。

満州とか女真とか蛮族とか、戦後日本の教育現場から目を背けられて来たために、ほとんどの日本人は理解ができなくなっているが、ほんの数十年前まで日本人は満州の地で馬賊(山賊のような強盗集団)と戦っていたのであり、それが北朝鮮の先祖なのである。

朝鮮半島における反日教育の根本はそこまで遡らなければ理解ができない深い話になるのだが、その略奪であり侵略であり殺戮の歴史だった女真の流れを汲んでいればこそ、現在の南北朝鮮が恥も外聞もなく犯したり盗んだり殺したりして止まないのである。

米朝首脳会談がおこなわれようとしているが、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言うように、朝鮮人の本質を知っておくことは絶対に必要なのである。




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Author:old comber
硬派と軟派の二重人格がまき散らす猛毒 ショック死しても知らないよ

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