韓国にスポーツの資格があるか

はっきり言って個人的にはフィギアスケートってあまり興味がない。
純粋にスポーツとしてのフィギアであれば技術や体力などが評価の対象になるが、これに「曲の理解度」とか「表現力」などといった採点項目が出て来ると(スポーツとは認めない)とまでは言わないにせよ、もっと違ったジャンルで良いのではないかと思ってしまう。
古代オリンピックでは綱引き競技まであったそうだが、人は笑うけれど私は現代のフィギアスケートなどよりもずっとスポーツらしいと本気で考えている。
フィギアスケートが嫌いだと言う訳ではなく、単に興味があまりないと言うことだ。
ただ、札幌オリンピックの祭に「妖精」とまで呼ばれたジャネット・リンの笑顔はとても新鮮な記憶として残ったし、4回転(サルコー)の安藤美姫も3回転半(トリプルアクセル)の伊藤みどりもそれなりにアスリートとして記憶してはいる。

ただ、他の競技種目にしてもそうだが、韓国が絡むと途端に気色ばんで来るのはどういうことなのだろう。
高校野球でも自分の県代表や地域の代表を応援するように、国際試合においても自国の選手を応援すること自体には何も不思議はないし不適切なことでもない。
ただ、勢いあまって相手国の選手やチームを貶めるような行為は恥につながる。
特にサッカーと柔道とスケートで韓国は国内メディアをあげて相手国の非難に終始する。だからサッカーが盛んな欧州では韓国を嫌う国が多い。
柔道は日本だけを「壊し」にかかって来る。
2005年、エジプトのカイロで開かれた第24回世界柔道選手権大会の男子90kg以下級で、日本の泉浩選手(結果金メダル)は韓国のファンヒーテから反則(肘を逆関節に取り体重を掛ける行為)になる脇固めを受けて負傷。
2013年、東京体育館で開かれた「柔道グランドスラム東京2013」の女史63kg準決勝において、日本の安部香菜の右腕を韓国のジョンダウンがあろうことか咬み付いてしまった。
「日本にだけは負けたくない」という意識があろうことはわかるとしても、柔道の基本も学ばずに世界大会で選手を送り出す韓国の柔道界が世界的な恥をさらす結果になっている。

サッカーにしても順不同で取り上げれば、2013年10月にソウルで行われた対ブラジル戦の国際親善試合で韓国側のラフプレーが続出。
同年同月、FCバルセロナとの試合でも韓国チームはラフプレーを連発。多くのスペインメディアが韓国を非難する報道。
2013年6月、ブラジルワールドカップ出場を賭けたアジア大会においてアウェイで韓国に乗り込んで来たイラン代表が0:1で韓国に勝利。試合後韓国スタッフがイラン選手を殴るという事件が発生。事件はFIFAを巻き込んだ騒ぎになっている。
2010年に南アフリカで開催されたFIFAワールドカップでは、韓国代表がイタリア代表チームへラフプレー(と言うよりも試合中の暴行)の連続。
2007年、アジアカップでの日本対韓国の試合。韓国のカンミンスのラフプレーによってイエローカード2枚目で退場処分。これに異議を示した韓国側監督を始めとするコーチ陣全員が主審(UAE)によって退場となった。
その他にも、スイス、中国が韓国サッカーを強く非難しポルトガルやイタリアなどは主審を買収して八百長試合をおこなう韓国との対戦を拒否しているとの情報もあるようだ。
確かに相手選手の頭部を蹴ったりひじ打ちを当てるなどの反則行為は無数に見られる。

スケートでは特にスピードスケートに出場する選手が多いため、転倒や妨害行為などでファウルを取られる場面が多く、ソチオリンピックでは中国との間で非難合戦が広がった。

ただし、韓国が急速な近代化を遂げたのは日本が朝鮮を併合した約100年前のことでしかなく、それ以前は極めて一部の支配階級とそれ以外の教育も受けていない非文明社会でしかなかった。
李氏朝鮮時代の身分制度は王侯以下は両班、中人、常人、賤人と4つに大別されていて、両班と中人だけが文字教育を許されていた。
常人以下は儒教で言うところの労働者階級であって、賤しい者とされていた。しかし、この階級が圧倒的に多くなければ支配階級の生活が成り立たない。つまり併合以前の朝鮮は教育が許されなかった者が圧倒的に多かったわけだ。
この制度を朝鮮は実に500年も続けてしまった。
だから日本による併合(侵略とは意味が違う)は大多数を占める下層階級にとって極めて画期的な出来事だったのだ。
日本は国費を持ち出してインフラを整備し、鉄道を敷き、病院や学校を建設した。そして何より身分制度を撤廃させた。
江戸時代の身分制度を撤廃した日本は、朝鮮においても同様の制度に改めさせた。
しかし日本には「読み書きそろばん」という寺子屋流の児童教育が古くからあり、儒教を早期に捨てていた日本は労働を尊ぶ文化があったのに対して朝鮮はそうした素地の一切が準備されていなかった。
1894年、朝鮮で農民による内乱「甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)」が勃発し、この内乱の処理をめぐって日本と清国の対立が生じ日清戦争へと発展する。
日本はこの日清戦争に勝利し、下関条約において朝鮮半島における清国の宗属関係を放棄させた上で、朝鮮を自主独立国とした。
しかし1910年(明治43年)に大日本帝国に併合された大韓帝国は、いわば16世紀からいきなり20世紀へ連れ出されたようなものだったはずだ。準備も何もできていない。

その後日本は日中戦争と太平洋戦争に突入し1945年に敗戦する。
朝鮮は朝鮮人民共和国を建国しようとしたが連合国から否認される。北はソ連軍、南は連合国軍の軍政下に置かれ、分断国家となる。
南朝鮮では李王家の復活を図った大邱10月事件が起きるが連合国はこれを不許可とする。
1948年5月、連合国の反対を押し切って南単独で総選挙(住民投票)をおこない李承晩が大韓民国臨時政府の初代大統領に当選。
李承晩という人物は譲寧大君の16代末裔にあたる李王家の(直系ではないが)血筋にあたり、日韓併合において没落していた両班家の3男として生まれた。
その経歴が示すように日本へはこの上ない怨みを抱いていた人物であり、強烈な反日はここから来ていると言って差し支えない。
譲寧大君とは世宗の兄(異母兄弟)にあたり、世宗とは太宗の長男。すなわち李王朝のトップだったわけだ。つまり李承晩が李氏朝鮮を復活させたかに韓国国民には映ったのかも知れない。

日本が朝鮮半島から撤退した5年後の1950年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が圧倒的な戦力で攻撃を開始。朝鮮戦争が勃発する。
李承晩は開戦の2日後には首都ソウルを脱出。
政府をソウル南部の水原に移すとともに自らは大邱に逃げている。
その際、漢江人道橋爆破事件(別項にて紹介)を起こし、釜山まで脱出した李承晩は釜山陥落に備えて日本の山口県に6万人規模の収容能力を持つ亡命政府を建設しようとして日本政府へ準備要請をおこなった。
マッカーサーによる仁川上陸作戦で北朝鮮の兵力を押し戻した連合国軍だったが、北朝鮮の工作員はこのときすでに韓国へひそかに居残っていた。

李承晩は南北朝鮮の休戦を進める連合国に対して、軍事力で北進し後ろ盾となっているソビエトには核攻撃をするようにとトルーマン大統領に書簡を送っている。
どうあっても朝鮮半島の統一を武力で成し遂げ、その頂点に自分が立たねばならないとする異常な考えだった。なぜなら逃避に次ぐ逃避を見せておきながらアメリカの武力で勝ち抜こうとするのだから誰も相手にするわけがない。
「停戦反対・北進統一」をいくら主張しても国連は無視した。そのために李承晩は国連軍と激しく対立し、韓国国内に収監していた朝鮮戦争当時の捕虜収容所をアメリカに無断で解放し、抑留捕虜2万5千人を北へ送還することなく韓国国内に釈放するという事件を起こす。
これが現代の青瓦台における北側の謀略の原因になっている。
また、1959年12月には、日本政府による在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業を阻止するために工作員を送り込み、新潟日赤センターへの爆破未遂事件まで起こしている。
この時点で李承晩は3選目にあった(当時の憲法では大統領は2選までと規定されていた)が、4選を目指して政府野党と熾烈な政治紛争を繰り返していた。
これで民主化を求める民衆と、独裁を維持したい政府との間に騒乱が湧き上り、秘密警察の横行や民衆デモ、武装警察や軍隊による取り締まりなどで多くの歴史的事件(馬山事件や4・19学生革命など)が起きている。
これを見かねたアメリカは「対韓経済援助を見直す」と通告して民衆の要求に耳を向けるよう指示。
1960年、驚いた李承晩は「行政責任者の地位を去り、元首の地位だけにとどまる」と発表するが、完全撤退を求める民衆は国内の主要都市で大規模なデモを実施し完全な騒乱状態に陥った。
地位を利用して無法な行動や金銭搾取を繰り返していた李承晩の養子にあたる李康石はピストル自殺で世を去った。
李承晩自身は妻をともなってハワイへ亡命。1965年にこの世を去っている。

この騒乱を鎮圧すべく登場するのが、軍隊を率いた朴正熙だったわけだ。
彼は軍事的に国民を押し潰すと同時に戒厳令を敷く一方で、日本との基本条約を交わして戦後処理を進める代わりに経済支援を引き出した。
彼は単なる軍人ではなく、政治家としても外交家としても優れた才能があったらしい。
李承晩がメチャクチャ過ぎたからこそ朴正熙の才能が開花したという見方もできるかも知れない。

簡単に戦後の韓国史をなぞってみたが、戦後韓国の基礎は「李王朝の夢よもう一度」と望んだ韓国がその末裔である李承晩を担ぎ出し、しかも御多分に漏れず李承晩も独裁者にならんとして民衆ばかりか世界までを敵に回し、逃げて逃げまくって最期には逃亡先で絶命している。
その人物が残したものが「李承晩ライン」という勝手な領海ラインであり、そして韓国国内における北朝鮮工作員の苗を育てたわけだった。
あの時代、真剣になって自分の国の行く末を考えた若者たちの姿は朴正熙の強権的な軍事政権によって消え去った。

つまり現在の韓国とは、李朝時代の夢を追い求めるには危険が多すぎるという学習をしたが、まだ儒教的文化は捨てきっていない。
と同時に中国の中華思想に対する小中華思想というものが根深く残っていて、自国の価値をナンバー2だと信じ切っている。
だからサッカーにしても柔道にしても負ければ火がついたように悔しがり、咬み付いたり怒鳴ったり殴りかかったりするようになる。
まだまだ未熟だとしか言いようがない。

日本のフジテレビの大株主が韓国資本だとかで、昔からおかしな表現を続けている。
以下はつい先日のフィギアスケート世界選手権で優勝した浅田真央選手に対する、受賞直後のフジテレビのインタビューである。

(フジテレビ女子アナ)浅田選手が集大成と位置づけていた今シーズンですけれども、今終えた段階で今後についてはどんなお気持ちでしょう。
(浅田真央)     そうですね、今は終わったばかりなので、ちょっと何とも言えないですね。終わってからじっくり考えたいと思います。
(フジテレビ女子アナ)それ、じっくりと言うのは、いつ頃までじっくり考えるんでしょうか
(浅田真央)     (笑)わからないです、はい。

韓国国内では、キムヨナが引退したからこそ浅田は優勝できたなどとメディアが報道し、中国やロシアを始めとする浅田選手のファンが少なくない各国から非難の声が寄せられているらしい。
フジテレビは浅田の引退をよほど願っているようだ。
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