韓国の地域差別

現在日本では韓国へ対する反感が高じている。
それは韓国の異常にも見える反日言動があるからなのだが、一方で日本人は本当に韓国社会を理解しているのだろうかという疑問が湧いて来た。
ウェノム(倭奴)だとかチョッパリ(ひずめが割れた奴)という呼び名は単なる外見上のことであって憎しみ以外の何物でもなく、文化的にはレベルが低い。

日本人は韓国(朝鮮)を正確に理解していないのではないか。
白村江(はくそんこう)の戦いというのをご存じだろうか。
これも知らずに嫌韓だと言ってみても相手にはされまい。
これを理解するには西暦4世紀から7世紀にかけての朝鮮の三国時代というものを知る必要がある。
この区分が現代の韓国社会に大きく関与している。

三国時代とは、高句麗と百済と新羅のことである。
時計の文字盤に言い換えれば、3時と9時とを結ぶ線の北側が高句麗だった。
さらにその下半分の西側が百済、東側が新羅だった。
日本は当時倭国と呼ばれていたが、その倭国は百済と交易があった。
しかし覇権を争った新羅は唐(中国)の支援を受けて、倭国・百済連合軍に戦いを挑み勝利する。これが白村江の戦いである。

そして戦いに敗れた百済の民衆は新羅からの迫害を恐れて倭国(日本)へ亡命する。
それが近江以西の近畿地方に集中した。西暦7世紀のことだった。
戦いの3年後、唐は高句麗を侵攻し668年に高句麗は滅亡する。
したがって朝鮮半島は唐(中国)の力を受けて新羅の「三韓統一」が成ったのである。
ここから李氏朝鮮が興るのだが、当然主流は新羅の血流ということになる。
つまり新羅にとってみれば倭国・百済の連合軍と戦ったという記憶から、その後の朝鮮史において「倭国から攻められた」という言い伝えが残ることになった。

ここでいきなり近代史に移るのだが、戦後の軍事クーデターによって政権を取った朴正熙から金泳三に至る面々がどこの出身であるかが重要になって来る。
朴正煕→全斗煥→盧泰愚→金泳三と続く一派はことごとく旧新羅地域である慶尚道だったのであり、政権を構成する人脈もすべて慶尚道派閥で統一された。
まるで明治新政府の構成員のほとんどが薩摩と長州の関係者で作られた日本と全く同じことになる。
つまり倭国(日本)へ避難した百済由来の一族は虫けら同然のように考えられていたのであって、ここに済州島(百済)の虐殺なども平気で韓国政府はやってのけたわけだ。
だから済州島も含めた百済関連の朝鮮人は避難した日本から出るに出られなくなってしまったわけだ。
だからどこかの映画監督のように、日本をウェノムだのチョッパリだのと呼んでいれば、それは自身のルーツを知らないという意味で可哀想な人だということになる。
日本を悪く言う前に、あなたは百済なのか新羅なのかをはっきりとさせなさいということになる。

ここまで理解が進んでくれば、おのずと4・3事件(済州島=旧百済)や光州事件(全羅南道=旧百済)などの本当の姿が見えて来るだろう。
韓国とは外国へ対する紛争の前に、みずからが抱えている地域差別から卒業していないのである。
あるいはまた、韓国人みずからが十分に自覚しながら、ただ黙っているだけなのかも知れない。
差別があるとすれば、それは日本人が韓国人に対するものではなく、韓国人が基本的に抱えている地域差別のことだ。
それを理解しない以上、日本人がいくら物を言っても通じないだろう。



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ブログサーフィンをしていたら天下御免素浪人様にたどり着きました。
いろいろと勉強になります。
韓国は本当に心が複雑な人たちで、何に脅えているのでしょう。

これからも ブログを拝見させていただきます。
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