殉国七士廟

日本の第124代天皇陛下は裕仁(ひろひと)と仰せられ、昭和天皇と呼ばれておられる。

昭和天皇は敗戦後マッカーサーに対してこう述べられた。

「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。しかしながら、罪なき8000万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」

従って東京裁判によって有罪にされ処刑された人々を、そもそも天皇陛下は認めておられなかった。となると陛下ご自身が靖国神社に参拝されないのはA級戦犯が合祀されたからだとする解釈は成り立たなくなってしまう。子供にでもわかるような簡単な話だ。

マッカーサーのような下卑た復讐心で、でっちあげられた戦争犯罪に「殺すなら私を殺せ」と立ち向かわれたのが昭和天皇だった。

なぜマッカーサーが復讐の鬼になったのかというと、欧米の植民地だった東南アジア諸国を日本が独立に向かわせたからだ。食べようとして盗んで来た犬を、韓国人の手から逃がしてやったのが日本人だったという意味である。



愛知県西尾市東幡豆町の三ケ根山に「殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)」がある。東京裁判で死刑を執行された7名の軍人・政治家の遺骨が埋まっている場所である。石碑には「殉国七士墓」と彫られてあり、建立当時の首相だった岸信介の揮毫が残る。

七名とは板垣征四郎(陸軍大将、関東軍参謀長)・木村兵太郎(陸軍大将、ビルマ方面軍司令官)・東条英機(陸軍大将、内閣総理大臣)・土肥原賢二(陸軍大将、特務機関)・広田弘毅(文民、内閣総理大臣)・松井石根(陸軍大将、中支那方面軍司令官)・武藤章(陸軍中将、第一四方面軍参謀長)のことであり、東京裁判は、大東亜戦争の戦争責任を追及する裁判として、アメリカ・中国・イギリス・ソ連・オーストラリア・カナダ・フランス・ニュージーランド・インド・フィリピンの11カ国が判事を出して行なわれた裁判だった。27億円の裁判費用は、日本政府が全額供出させられている。いかに植民地を失った者どもが悔しがったのかがわかろうというものだ。

刑の執行は、判決の翌月である昭和23(1948)年12月23日だった。この日は、当時皇太子殿下であられた今上陛下のお誕生日である。意図的にこの日を選んだのは疑いようがない。

刑の執行は絞首刑が選ばれ即日のうちに火葬に付されたが、監視していた米兵は遺骨を鉄の鉢に入れて上から鉄の棒で粉々に打ち砕いた。この遺骨の入った箱は、A級戦犯の遺体を巣鴨から運んでんきた米兵が持ち去り、台の上に灰と一緒に残っていた小さな骨は、米兵の監視つきで火葬場にある共同骨捨て場に捨てるように命じられた。これが12月23日だったことを思い出そう。その翌日がクリスマス・イブである。A級戦犯の遺骨を奪う計画は、小磯国昭大将の弁護人だった三文字正平によって進められていた。三文字弁護士は、米人弁護士のブルウェットに相談し、彼を通じてGHQに処刑されたA級戦犯の遺骨を遺族たちに渡せるように嘆願していたのである。ところが、マッカーサー元帥は一向に首を振らなかったため実現はしなかった。火葬場の共同骨捨て場に捨てられているA級戦犯の骨を持ち出さなくてはならない。これを盗み出すのは12月25日の夜と決めた。米軍の監視がクリスマスで気がゆるんでいる隙に実行しようというのである。

巣鴨プリズンで処刑された遺体は久保山の火葬場で焼かれた。そのすぐ上にある興禅寺に持ち込まれた盗み出された遺骨がはじめて供養されることが叶ったのである。

サンフランシスコ講和条約が締結されたのは昭和27年のことで、戦後7年にして日本は占領統治から開放され戦争犯罪が解かれた。

三文字正平弁護士は、この講和条約の締結と同時に、殉国七士の墓碑を建造しようと運動を開始する。しかしすでに日本には反日運動家が育っていた。猛烈な反対運動が起こった。しかし三文字正平弁護士はあきらめなかった。七士のご遺族、政財界での賛同者を募り、各方面の有志たちと連携し、資金と場所の確保に奔走し、愛知県幡豆(はず)郡幡豆町役場の好意を得て、三河湾国定公園三ケ根山頂に、七士の墓碑とご遺骨の埋葬を実現したのは、運動を開始してから8年後の昭和35(1960)年8月16日のことだった。

その日以来、毎年4月29日の昭和天皇御誕生日には、この地で慰霊祭が採り行われ、今日では七士廟の周辺に、大東亜戦争での戦没者を祀る各部隊の慰霊碑が並ぶようになった。いまでは、82の慰霊碑が建立され「殉国七士廟」とともに並んでいる。

(参考:サファイアのブログ https://ameblo.jp/atomu-coco50/entry-11903633046.html より)


天皇制を否定するのであれば、まず皇室の存在が何であるかを理解するところから始めたい。



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