時代遅れの長崎県政

安倍政権の「メダマ政策」のひとつとして地方再生があるという。
ここにひとつの例をあげようと思う。

長崎県は離島を多く抱える県で、沿岸の合計距離は北海道に匹敵する。
必然的に水産業が盛んだが、対馬や壱岐などでは韓国の密漁船が跋扈していて海上保安庁とのいたちごっこを演じている。
一方で平地が少ない長崎県は稲作が大規模化できないために、傾斜地を利用した果樹栽培や野菜農家が多い。
産業としては造船業が主体で、戦後間もなくまでは炭鉱を抱えていたが輸入石油の時代に入ると次々と閉山して行き、2001年の池島炭鉱を最後に県内の炭鉱はすべてなくなった。

県庁所在地である長崎市は、観光業と造船業が主な産業であるが、自治体が長年の夢だったという新幹線西九州ルートの決定を受けて舞い上がってはいるものの、全線が開通するようなことになれば、市内の購買力はストロー効果で博多へ流れ出すことは目に見えている。
つまり新幹線を誘致することで日帰り観光が可能になることから、市内のホテル業界は逆に減収が考えられる。
週末の買い物客の足は博多に向かうことで中心地の商店街も客足が減るだろう。

一方の佐世保には造船業の他に米軍基地があって固定収入は確保されている。
一時は倒産の危機にあったハウステンボスも対象客層を低年齢層へ移したことが功を奏したようだ。しかし県はハウステンボスにカジノを誘致しようとする動きを見せていて、大人から子供へシフトしたばかりのハウステンボスにカジノが来れば完全に対象年齢がぼやけてしまうことになるだろうことに気が付いていない地方行政の石頭が多いようだ。
沖縄周辺でも朝鮮半島でも火薬の匂いが高まっている現在、沖縄では具体的な動きが出ているのに対して佐世保ではまだ軍事的な話題が上がって来ていない様子だ。
沖縄の県知事選で左派勢力が勝利することになれば、間違いなく中国が接近して来ることになるし、一方の韓国済州島でも大量の中国人入植者が入って来ていて韓国政府はこれを歓迎している。
韓国の在韓米軍が来年をもって撤収するかどうかの決定はまだ出されていない。
仮に在韓米軍の陸上部隊が撤収することになれば、南は済州島の中国人、北はミサイルを準備している北朝鮮軍がいるわけで挟み撃ちに遭う可能性も出て来ることになる。
そうした時、佐世保のアメリカ海軍基地は最前線基地になるのであって、原子力空母や潜水艦が頻繁に出入りすることになるだろう。
殴り込み部隊である海兵隊は現在、沖縄と岩国にしか常駐していないが朝鮮半島有事の際は米海軍基地の中に臨時の海兵隊基地が設けられる可能性は非常に高い。
海兵隊が来るということになれば、ホバークラフト型の強襲揚陸艦LCACとオスプレイは絶対に必要であって、その場合オスプレイの駐機場は県央の大村航空隊になるだろう。
これらのことは他の県よりも可能性がずっと高いのであって、その分攻撃目標にされる危険性も必然的に高くなって来る。
ハウステンボスの山ひとつ越えた先の入江にはアメリカ軍の弾薬保管庫があることは有名だ。

さて、少し話題を変えよう。
1994年渇水という記録がある。
これは九州北部から関東地方までの広域で起きた大渇水のことである。
同年は春先から少雨傾向が続き、梅雨に入っても降雨量は平年の半分以下だった。
7~8月には記録的な猛暑日が続いたために各地で渇水が続き、九州北部・瀬戸内海沿岸・関東地方を中心とした各地で時間指定断水などの給水制限が実施された。
影響は1660万人におよび農作物の被害は1409億円に達したとされている。

福岡県では各地の貯水池が急激に減少したことから筑後川からの取水制限が始まったのが1994年7月。
福岡市を例にとれば夜間断水が開始されたのは8月4日のことだった。
夜間の水道が使えないことから、中洲などの飲食街の客足が消えた。
9月に入ってからも制限給水は続き、両親が共働きの家庭の子供は昼休みの時間を利用して帰宅して風呂水を溜める許可が学校から出たほどだった。
この福岡市の制限給水が解除されたのは、実に翌年の6月1日のことだった。

長崎県の佐世保市で制限給水がおこなわれたのは1994年8月1日から1995年3月6日までの期間だった。
佐世保市の1日の平均断水時間が20.5時間という深刻な事態になったものの、制限日数では福岡市が上回っている。

四国では四国最大の水がめである早明浦ダムの貯水量が落ち込み、高松市は6月29日から同年11月14日までの間、制限給水を実施した。
中国地方では広島県内で70日間の夜間断水、岡山県倉敷市では52日などの断水となった。
近畿地方でも姫路市で71日間の夜間断水、京都や大阪では減圧給水が実施された。
東海地方では8月の後半、愛知県内の13市町で夜間断水が実施されたが、佐久間ダムから豊川への緊急分水が実施されたことで断水は回避された。
関東地方では7月22日から9月19日までの間、利根川水系の取水制限がおこなわれ、東京都で最大15%の給水制限が実施されている。

すなわち1994年の渇水は佐世保だけの出来事だったわけではなく全国的なものだったことがわかる。
ただ、筑後川とか天竜川とか荒川・利根川などといった一級河川がある地方とそうでない地方の差はあるだろう。
ただ、この年の大渇水を口実として以前から進められていたダム建設計画が口実を得て事業を加速させた事例がある。
長崎県東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)川棚町(かわたなちょう)岩屋郷地先に計画されている石木ダム計画のことである。
繰り返すが、1994年の大渇水とは佐世保地区だけの出来事ではなく、北部九州・瀬戸内海沿岸・近畿・東海・関東地方にまで及んだものだった。
ところが計画段階で地元の地権者の反対運動に遭った県および佐世保市は、この渇水を口実に「石木ダムの必要性」を声高に主張して、事業計画の推進を図ろうとした。

事業目的は、①洪水調整、②水道用水の確保、③流水の正常な機能確保、とされている。
ところが1995年を最後に、佐世保では制限給水の事例がひとつもない。すなわち水道用水は現状で足りていることになる。異常気象で例外的な大渇水は確かにあったが、それは佐世保だけが持つ都市機能の欠如ではないことを意味している。
地図を見ていただかないと説明が難しいのだが、東シナ海で発生した雨雲が偏西風に運ばれて来た場合、大村湾に面した東彼杵郡を直撃する前に、西彼半島にぶつかるはずなのだ。
だからもし豪雨災害が発生したとすれば、東彼杵よりは西彼杵が危険性を高くする。雨雲は西の海からやって来るからだ。
ここで上記の①と②の項目が怪しいものであることがわかりかけて来る。

水道用水の確保と洪水対策、どこかで聞いた話だ。
そう、国策として建設された諫早湾干拓事業のことである。
ここで諫早湾干拓に話題を移す。
この大規模事業のことの始まりは戦後日本の食糧問題に端を発する。
1952年、当時の長崎県知事だった西岡竹次郎が、当時の食糧難を解決するために「長崎大干拓構想」を発案したことが始まりだった。
だからこの時点では食糧対策が主な目的だったわけだ。
当初の計画では11000haを造るとしていたが予算の関係で規模を1/3に縮小して計画は進められた。
しかし農業技術の進歩と農業機械の発展とで日本国内の食糧事情は劇的に好転することになり、やがてはコメ余りの現象まで起きたことから政府は減反政策に乗り出すようになった。
だから本来であればこの干拓事業計画はそこで一旦ストップさせるべきものだった。
しかし縦割り行政の常で、一度予算が付いて走り出した土木事業は誰も止めることができなかった。
国民が飢えているということで付いた巨額の予算は、いつしか灌漑(かんがい)用水の確保とか畑地開発に目的を変えて来た。
それでも反対運動が収まらないのを見て、高田勇長崎県知事は「この事業は農地を得るのが目的ではなく、洪水対策としての治水事業である」と従来からの主張を変えて来たわけでした。
「水田」が「畑地」に変わり、やがては「治水事業だ」と言い出す。しかし事業そのものの内容はどこも変わらない。
変えないことが土木計画の真の姿だからである。

現在の長崎県知事は高田氏・金子氏の跡を継いだ中村氏だが、諫早湾干拓工事が完成して閉め切り堤防を閉じた状態になった頃から有明海での漁業が不漁になった。
その原因が諫早湾干拓にあるのではないかとして、佐賀・福岡・熊本の漁業組合が閉め切り堤防の開門調査を要求して佐賀地裁に提訴した。
一審では開門命令が出され、福岡高裁もこれを支持した。
被告である国は最高裁に上告すべきだという声が強かったが、時の総理大臣だった菅直人がこれ(上告)を断念。開門命令が事実上成立する。
命令の内容は3年間の猶予期間をおいたのち、5年間の常時開門をおこなって有明海の調査をおこなうとしている。
しかしこれでは塩害が干拓地に及ぶとして、営農家らが長崎地裁に「開門差し止め」を要求して提訴。長崎地裁はこれを認める判決を出す。
つまり佐賀地裁・福岡高裁と真っ向から反対となる判決を長崎地裁が出した格好になった。

しかし諫早湾の大規模干拓事業の目的が1952年当時の食糧確保というものから灌漑用水確保と姿を変えやがては県知事の口から洪水対策だと言わしめ、挙句には入植者らが塩害で農作物に被害が出ると言い出した。
この矛盾をどうとらえれば良いのか。
高田元知事が言ったように洪水対策なのであれば海水を入れても別に問題はないことになる。
そして中村知事はこう語った。「地元農民の声を聞くべきだ」と。

待っていました、その言葉。石木ダム建設反対を主張している「地元農民の声」に耳をふさいでいる中村知事にそのままお返ししましょう。
つまり、いくら綺麗事を言い並べたところで、結局走り出した土木計画は止められない作りになっているのであって、その中に選挙や資金などといった利権がからんでいることはもう明々白々のことなんですね。
中村知事の前任者だった金子の時代にも道路や橋などの大型土木事業がてんこ盛りだった。
そして金子の娘と五島の国会議員である谷川建設の社長である谷川弥一の息子が結婚し、両家は親族関係になった。
この息子と娘の夫婦が諫早湾干拓農地に不適法な方法で入植し、県議会が百条委員会を設けて調査したほどだった。
ことほど左様に公共工事とは様々な利権がからんでいるのであって、だから県知事や市長や県議会議員や市議会議員らは必死になって公共工事を進めようとする。
一方の納税者らは無関心で、立ち退きなどで直接被害に遭うごく一部の住民だけが反対の声をあげる。誰にか。公僕たる公務員に対してだ。
自民党政権が長く続き過ぎたために、この国の役人と政治家は土建業との癒着が完成していて、一時的な民主党政権の頃は土建業ばかりか霞が関からも背中を向けられたのが政府だった。
民主党政権ははっきり言って左派系議員と在日議員と日教組の巣窟のような政権だったので長続きするはずがなかったのですが、安倍自民党政権に戻ったから全てがオーライなのかと言うととんでもない話で、全国津々浦々まで昔スタイルの土木行政に戻ることになるんです。
それがアベノミクスの三本目の矢である「強靭化計画」。
言葉を変えれば、土木事業に国民の税金を再投入するぜということであり、その為の消費税アップをよろしく、と言われているわけです。

長崎には孔子廟という施設があり、名称を唐人館という。
孔子の掛け軸があるとされていたが、日本政府が台湾との接近を図った際に中国政府は反発してこれを撤去回収した。
慌てた長崎県は「県としたら台湾を認めていない」として掛け軸を取り戻すとともに中国領事館を長崎市内に建設した。
だから日本政府が台湾との友好を進めようとしても、長崎県だけは中国政府の手前無視するしか道がない。
しかし台湾からの旅行客は長崎市内の主要な観光地や佐世保のハウステンボスなどを盛んに訪れている。
したがって長崎県にとっての台湾は「痛し痒し」といった立場にある。
というよりも長崎県のコウモリのような態度に一貫性が無いことが悲しまれる。
これはどこから来ている問題なのかと言うと、自治体の首長を選ぶ際に地元の商工会や青年会などが旧来の候補者だけを選び続けて来た結果なのだ。
このことは長崎県だけとは言えないだろう。
むしろこうした現状の地方自治体の方が多いはずだ。
アベノミクスがどの方向へ進もうとしているのかを見れば、薄々見当はつく。

地方自治体の政治家が好き勝手やっている間に海の向こうでは確実に火薬の匂いがし始めている。
国民、県民、市民は一刻も早くこのことに気が付かねばならない。
長崎であればなおさらのことである。





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