仕事を誇る

先日の本ブログで『嫌韓の理由』というタイトルで日韓両国の違いを私なりにさぐってみたのだったが、朝鮮には儒教思想によって労働が卑しいものであるという認識があって、そこから日本との違いが生まれていると定義した。

それは「両班・貴族」階級の身分を確保するために、科挙の元となる文字教育を下層階級に禁止したことから始まる。だから料理人にせよ大工にせよ、職業人の技術の伝承ができなかったのであり口伝えに教えられた技術も何代かたつうちにおかしな方向へ行ってしまうことになる。文字伝承ができないからだ。

韓国の時代劇ドラマを観ていると、王宮からの触れ書きが町中に張り出されるシーンがちょくちょく出て来るが、昔の町人が文字を読めたはずがない。しかももっともらしく漢文で書かれている。「そんなアホな」と日本の放送局は考えないのだろうか。

どうして現代の韓国でノーベル賞の受賞者が出ないのかというと、学生がゼミの担当教授の論文を読めないからだ。
工学部で工学が伝えられていない。経済学部で経済が。建築学部で建築が。

朝鮮通信使が日本へ来た際に、田園風景の中で回る水車を見て腰をぬかすほど驚いたと伝えられているが、それを聞いた国王の命によって制作にかかったが数百年かけても完成させることができなかったという。つまり労働者階級が文字を禁止されていたからだ。文字がなければ書き付けで残すこともできないから、せいぜいが親から子へ、子から孫への言い伝えで終わってしまう。数百年かけて完成できなかったのは、当然と言えば当然なのだ。

私はここで韓国攻撃の続きをやろうとしているのではない。労働というものの定義がここ近年で変化して来ているからだ。

残業などの長時間労働を嫌う雰囲気が大勢を占めるようになってきて、残業規制だのブラック企業だのといった言葉が飛び回っている。確かに図に乗り過ぎた経営者が従業員を家畜のように酷使していた事実は明らかにされるべきだし、社会的制裁も受けなければならないだろう。

しかし残業を苦にする従業員というのは「収入のため」が最優先されていて職業に対する愛着があまりないのかも知れない。確かに程度の問題であって、いくら愛着があっても死ぬまで働くのは無謀だと思えるのだが、日本と朝鮮・韓国を含む諸外国の認識の違いが表れている。

日本には「好きこそものの上手なり」という諺があるが、魚釣りが好きな人は休みの日を利用して釣り三昧を楽しむ。このような人が漁師になったら仕事が楽しくて仕方がないだろうし、他の漁師よりも稼ぎが多いかも知れない。

スポーツ選手が「自主トレ」をやったり「居残りバッティング」をやったりするのも「好き」でなければできないことだ。音楽が「好き」な人はそっち方面の仕事に就きたがるだろうし、陶芸が趣味の人は退職金をはたいてまで窯を作ったりもする。

逆に「運転が嫌い」だという運転手のバスやタクシーには乗りたくない。

「仕事」という部分と「楽しむ」という部分を完全に切り離すか、重なった部分を探すかだ。

そこでどうしても避けて通れないのが儒教・朱子学の「労働の否定」という問題であり、キリスト教に基づく欧米の「契約思想」だ。

欧米の「契約思想」の場合、旧約聖書と言ったり新約聖書と言ったりするが、この「約」というのは翻訳の「訳」ではない。契約の「約」だ。では誰と誰との間に交わされた契約だったのかというと神と人間との間のことだ。だから人間には「生存」という権利の代償に「労役」という義務を負わされた。欧米人はそう考える。だから「仕事は少なければ少ないほど良い」ことになる。定時になったらそそくさと帰宅して、年に1か月ほどはバカンスに出る。それが人生の喜びだと信じているから、職業に喜びを感じる人間は少ない。

ホンダが乗用車工場をアメリカに建設して、地元のガラスメーカーに自動車用の窓ガラスを発注した際のこと。納品検査で10%ほどが規格外だった。それでホンダが返品しようとすると「歩留まりも商品の一部だ、代金を支払え」と言って来たそうな。ホンダは懇切丁寧に「仕事に誇りを持っていれば、そのような考えは生まれない」と根気強く教えた。やがてそのガラスメーカーの品質はどんどん上昇して今ではアメリカを代表するようなトップメーカーに成長したという。「ホンダに教えられなかったら、フォードにもGMにも相手にされていなかっただろう」と。「運転が嫌いな運転手」を「運転好きな運転手」に変えたわけだ。

逆に中国や韓国では儒教思想が根深く浸透しているから、労働を徹底的に卑しいものと考え、その上で年長者への服従が行き届いている。だから年老いた両親は働けるのに仕事を辞めてしまって子供の世話になろうとする。年老いた親に働かせるのは年長者を大切にしない悪い子供だという評価が下るからだ。「仕事」は服装のようなもので喜びを伴うものではない証拠である。

韓国の若年層失業率が過去最悪になっていると聞くが、詳しく見てみると「ホワイトカラー」に集中しすぎるからだという。技術職や肉体労働職のいわゆる「ブルーカラー」は人手が足りないのだそうだ。それで韓国の国会議長が来日して「日本の人手不足を韓国の若者で埋めよ」と言っている。日本の求人の中の上位を狙っているわけだ。そんな都合の良い話がどこにあるだろう。その理由とは。

韓国の場合、前記した通り親が息子娘の背中におぶさろうとする。しかも教育費負担が多いので少子化が進んでいる。一人の子供に二人の両親がいて四人の祖父母がのしかかる。そして高額な教育ローンの返済のために低額な給与の職場には行けないわけだ。水産加工場で魚を開くよりも、ネクタイを締めて営業をしたがるわけだ。日本の求人難と合致する? そんなはずがない。中国・韓国で深刻なカンニングが横行したり大学検定が捏造されたりするのも、そこに原因がある。これらのどこに仕事への「誇り」があるだろうか。

つまり日本人の職業観と中韓あるいは欧米の職業観がまったく違っている原因を私なりに探ってみた。

「仕事」という言葉がある。分解すれば「仕える」「事」となる。だから結局は「仕える」ことを辛いと取るか喜びと取るかで同じことが180度違って来る。

「仕えることは辛いこと」と定義しているのがキリスト教であり儒教だった。辛くても生活のために我慢して働くしかないが、進んで「自主トレ」をやる者はいない。

だから「残業100時間規制」が良いの悪いのと言っている労働者組合などは、本人たちが気付かない間に日本流の思考を捨て去っている部分があるのではないか。彼らが支持している政党はどこだっけ。「女系天皇」などと言っていなかったっけ。

誤解しないで頂きたいのだが、残業を無条件で認めているわけではない。効率よい仕事をするスタッフが定時で退社することに何も問題はないし、むしろ仕事もせずにダラダラと居残っている「スチャラカ社員(古いね)」も居る。どこかの地方自治体では、午後10時を回るとタクシーチケットが配布されるとして、8時9時で業務を終えた職員が喫煙所で『しんぶん赤旗』を読みながら時間をつぶすという。

先日ガソリンスタンドで洗車してもらったのだが、店員が拭き上げたボディに水あかが残っている。指でこすると簡単に取れた。「ああ、この店員、自分の仕事が好きじゃないんだな」と思った。



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