嫌韓の理由

なぜ日本人と韓国人が反目するのかという根本的な理解が徐々に明らかになってきた。

日韓友好だ経済協力だという利害が絡む問題にいきなり入る前に、両国の違いを理解してから先に進むべきだ。

韓国人は直情傾向ですぐに大声をあげたり殴りかかって来たりするから、大人しく辛抱強い日本人が譲って来たとかいった理解が浸透しているのだが、ならばこの違いはどこから来ているかだ。

それはずばり、かつての朝鮮が中国(正確には明朝だが)の属国だったことに起因する。李氏朝鮮時代の成宗が儒教教育を促進させ、両班などの身分制度の維持を目的とする国内統治の手段として、中国の官僚統治モデルを踏襲しようとした。

その結果、仏教は迫害されて生産や労働階級を卑しいものとし、朝鮮儒教を特権階級に特化させて「身分制度の維持のための学問」と定義した。これが1392年以降のことであって日韓併合までの500年以上に及ぶ民族の価値観を形成した。

ここが決定的に日本の文化と違う点であって、政治的な妥協をすれば友好関係が生み出されるといった生易しいものではないことが理解できて来る。

確かに日本にも儒教は入って来ている。身分制度も日本にもあった。しかし日本の文化の根底にあるのは仏教であり神道だった。士農工商とは言っても、互いが互いの存在を認めていて、奴隷制度などは日本の歴史には元々なかった。犯罪による人身売買などはあったとしても、国の制度としてそうしたものは認めていなかった。

ここに大きくて超えることができない違いがある。これだけは互いに譲歩できない決定的な差異なのであって、会釈をすることはあってもハグまではできない関係が現実問題として横たわっている。超えることができない溝なのだから、どちらかが妥協すれば良いという問題ではなく、民族的な根本的価値観の違いなのだからどちらからも深入りはしない方が良い。

たとえば日本が経済援助をする見返りに、韓国は上下関係の重視をやめろと言って通用するわけがない。それは韓国が韓国であることを止めろと言っているようなもので、援助の引き換え条件として韓国が仮に約束したとしてもできるはずがない。

韓国が世界から非難されても犬料理を止めないように、それはそれで価値観の差なのだから勝手にやっていれば良いが、日本には日本の価値観がある。お互いさまだから勝手にやってれば良い。つまり「それぞれの道を行く」というやつだ。

良く日本国内でも「隣国同士なのだから、もっと仲良く」という無責任なコメントをする似非評論家がいたりもするが、隣国だからこそ仲が悪いという例は世界中にいくらでもある。直接的な利害がからむからだ。トランプがメキシコ国境に壁を作ると言っているように。「アメリカ・ファースト」と言わせるのであれば、日本人が「ニッポン・ファースト」と言って何が悪い。

キツネとタヌキが別の動物であるように、日本人と朝鮮人・韓国人もまた別なのだという出発点から話を始めなければ何も進まない。

いみじくも前大統領が「千年たっても」と発言したが、500年もの年月をかけてしみ込んだ朝鮮文化は、最低でもあと500年しなければ抜けきらないだろう。

韓国にはキリスト教の隠れ蓑をかぶった新興宗教が増殖しているからこそローマ教皇などが訪問しているが、そうした神父・牧師が何をやっているかと言うと児童への性暴行だ。日本文化ではまず考えられないことだが、朝鮮・韓国では性欲に対する認識があまり深く配慮されていない。それは李氏朝鮮の時代の身分制度の名残であって、特権階級が奴隷(奴婢)を自由自在に犯しても許された歴史が現代に受け継がれているからだ。だから韓国では性犯罪が圧倒的に多く減る傾向が見られない。

日本国内の「嫌韓」民たちは、朝鮮・韓国人のことを「人間もどき」と揶揄しているが、それほど価値観が違いすぎている。日本人の多くが避けて通るのが「性」と「排泄物」についてだが、朝鮮・韓国人からこれら二つを取るとおそらく何も残らないだろう。日本と朝鮮・韓国は「水と油」どころではない、「固体と気体」ほどの違いがあるように思う。

これは「差別発言」ではない、「区別発言」だ。「互いに背負っている背景があるだろう」ということを言っている。



生産・労働を卑しいものとした朝鮮の歴史に触れたが、豊臣秀吉の朝鮮征伐で連れ帰った朝鮮の陶工たちは鹿児島や佐賀などでお殿様のお抱え職人として大事にされて神社まで建ててもらっている。

労働を尊いものだとする価値観が日本に育っていたからこそ、明治維新とともに近代化が一気に進んだのであって、蒸気機関車や戦車や戦闘機の国産化もどんどん進んだ。

一方で朝鮮は日本に併合されたが、身分制度こそ廃止されたものの、特権を奪われた両班階級が抗日活動を始めた。それまで奴婢階級だった者までが「先祖は両班だった」と偽りの見栄を張るために抗日活動に参加して行った。それらは労働を否定するところから始めなければならなかった。だから朝鮮の近代化は未完成のままになっている。カネ儲けをするためには優れた製品を生産するのではなく、他人を欺くことで得ようとする。そこには日本人の価値観と相通じるものは何もない。

なぜ日本人が韓国人を嫌うのかと問われるならば、それは「儒教の有無ですよ」ということになる。歴史を変えることはできない。「儒教」という味噌樽で500年間漬け込まれた朝鮮・韓国は、日本の「浅漬け」とは全く別物になってしまっている。昨日今日どうこうできる物ではないことを早く認めた方が良い。


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