属国の歴史

中国の習とアメリカのトランプが会談した際に朝鮮半島の話題になり、ウォールストリート・ジャーナルのインタビューに答える形でトランプがこう述べた。「習主席が中国と朝鮮半島の歴史について、韓国は中国の一部だったと述べた」

韓国の聯合ニュースは敏感にこれに反応し、「習主席が実際にトランプ大統領との会談で述べたのか、トランプ大統領が表現したのか、あるいは通訳ミスなのかは確認できていない」としつつも、「数千年間の韓中関係の歴史で韓国が中国の一部ではなかったことは、国際社会が認める明白な歴史的事実であり、誰も否認できない」と強調した。

聯合が知らないフリをしているのか本当に知らないのかはわからないものの、朝鮮半島に現存する最古の歴史書である「三国史記」全50巻の存在を否定しては、もう何もかも朝鮮の歴史は虚構だらけということになってしまう。

最古と言ったものの、執筆が始められたのは西暦1143年であり完成したのが1145年だ。日本で言えば平安時代に相当する。本薬師寺が完成したのが698年で飛鳥時代にあたる。それよりも400年以上も後の話だ。

この朝鮮における「三国」とは新羅と高句麗と百済なのだが、Wikipediaによればこのように記載されている。「三国以前の古朝鮮・三韓、三国並立期の伽耶・東濊・沃沮、新羅統一後の渤海などの記述がなされていないが、これは『三国史記』がすでに存在していた勅撰の『旧三国史』をより簡潔にまとめた形式をとっているためとも考えられている。しかしながら『旧三国史』に古朝鮮などの記事があったかどうかは、『旧三国史』が現存しないために確認は不可能である。そもそも、成立から100年近く後の高麗の大文人の李奎報が「東明王篇」の序文で訝しんでいるように、勅撰の『旧三国史』のあったところに重撰となる『三国史記』の編纂が必要とされた理由については、歴史の改ざんも含め諸説あるが未だ定説は無い。」

だから「歴史の改ざんも含め諸説ある」という怪しげな歴史書であって、「三国史記」そのものの執筆は12世紀なのだが、実際の三国は4世紀から7世紀の頃のことである。新羅は唐の軍事力を利用して百済を滅ぼし、唐は高句麗を新羅軍とともに挟み撃ちにして滅ぼした。一応は新羅が朝鮮を統一したということになっているが、統一後に戦いで手に入れた領土を巡って唐と新羅は対立する。「唐・新羅戦争」とも「羅唐戦争」とも呼ばれる670年から676年まで続いた戦争である。日本の本薬師寺が完成する20年ほど前のことだ。

当時の唐朝の皇帝は高宗(こうそう)という第3代皇帝であり、白村江の戦い(663年)などで新羅と同盟しているが、新羅が統一後に朝鮮半島の主導権を握ろうとしたために唐軍に攻められ敗れる。新羅は朝鮮半島の三国を統一したものの、唐の朝貢柵封関係にあって年号も唐のものを使い続けた。

「数千年間の韓中関係の歴史で韓国が中国の一部ではなかったことは、国際社会が認める明白な歴史的事実であり、誰も否認できない」との聯合ニュースの主張はこの「三国史記」で明白に瓦解するのであって、「朝鮮」という名前すらもまた明の洪武帝に選んでもらったものだった。

日本はかつて併合して「日本の一部」としたことはあったが、中国は一部にするどころか、属国として朝貢、すなわち奴隷として貢ぎ物をさせたのである。それは作物であり鉱物であり女性であり労働力だった。(だから韓国には美女がいない)

朝鮮・韓国を搾取し虐待し植民地化した相手とは日本なのではなく唐・明という中国だったのだ。

日本は朝鮮に学校を建て、ダムを造り、病院を建て、農地を拓き、外国の侵略から人々を守った。しかし中国はそれらとは真逆のことをやったのである。国の一部にするということは、そこの住民を国民に加えてやるということであって、ロシアやアメリカやスペインやオランダがやったような侵略ではないのである。ましてや中国共産党は、内モンゴルやウイグルやチベットなどで略奪を繰り返している。



ちなみに、新羅による三韓統一の際に日本へ逃れて来た百済の王族が様々な文化を日本へもたらしたとされているが、彼ら百済の王族とはシルクロードを経てチグリス・ユーフラテスの高度な文明を伝えたユダヤ民族が起源であって、秦の始皇帝を経て朝鮮半島の秦韓(辰韓)に至った人々のことだ。

日本の文化は朝鮮がルーツだといった寝言が常識のように交わされているが、新羅によって追い出された秦氏の集団が朝鮮半島を見限って日本へやって来ただけのこと。歴史の改ざんなどをする民族には無理な相談だったのだろう。

習とトランプのどちらが「中国の一部だった」と言ったかはわからないが、厳密に言えば正しくもあり正しくもない話だ。「属国」と言うのが正解。

そして韓国人が天皇という呼称を認めようとせず「日王」と呼びたがるのも、実際に朝鮮に皇帝は認められなかったのであり、皇帝や天皇がいたのは中国と日本だった。日本は独自に進化した国だったのではなく、幾多の渡来人が持ち寄った文化が結晶した国なのである。しかし朝鮮は逆に他民族を卑下し排除しようとし続けた。その結果が「加点方式」になったのか「減点方式」になったのかという単純な話なのである。

「メソポタミア」「エジプト」「インダス」「黄河」のことを世界四大文明と呼ぶが、現代では「黄河文明」というのはねつ造だとする説が世界的に常識化している。「メソポタミア・エジプト・インダス」と来ればそのままシルクロードであり、その最終到達点が日本列島の大和であり伊勢だった。福岡や出雲でさえが通過点でしかなかった。南方から北上して来た部族は宮崎も通っただろう。

そう解釈すればスムーズに理解ができることを世界は知っている。むしろ「日本の文化は朝鮮生まれだ」とでも言おうものなら、世界中が大笑いするだけの恥ずかしい結果を招いてしまう。

それでも約8000体もの兵馬俑が見つかった中国の始皇帝兵馬俑坑の芸術的高さは世界を驚かせるに十分だったのであって、いかに秦の始皇帝が中東の文明に浴していたかがわかる。

はっきりと言っておこう。韓国ごときの出る幕はないのだと。自分一人で孤立無援の戦いをしたことがない民族は、何を言っても通らない。




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