『隠れキリシタン』の定義

長崎が『教会群とキリスト教関連遺産』をユネスコの世界遺産にしようと活動している。

確かに1614年の禁教令から維新後の1865年までを隠れて信仰を続けたという意味では世界的な奇跡とされるのも無理はないのだが、そもそもなぜキリスト教信仰が禁止されたかという中心部分を誰も語りたがらない。

Wikipediaによれば、潜伏キリシタンと隠れキリシタンは別のものであり、仏教などを装って密かにカトリック信仰を続けた偽装集団を「潜伏キリシタン」と呼び、明治6年に禁教令が解かれたのちも江戸時代の秘教形態を守りカトリック教会に戻らない集団を「隠れキリシタン」として区別する、とある。

すなわち現在の天主堂などでカトリックを信仰している人々は「潜伏キリシタン」の末裔もしくは被布教者だということであり、カトリック教会と絶縁状態にある集団を「隠れキリシタン」と呼ぶらしい。

「味噌クソ一緒にするな」という言葉があるが、地元長崎の住民でさえがこの区別がついていない人々がほとんどなのではないだろうか。

すなわち長崎市内や五島列島などに点在するカトリック教会の信者らは「隠れキリシタン」の子孫なのではなく「潜伏キリシタン」のそれなのだ。

「隠れキリシタン」がなぜカトリックに戻らないのかという理由については、こう解説されている。

1、先祖からの伝統形態を守り続けることが正しいとする考え方。

2、仏教、神道を隠れ蓑として来たが、長い年月のうちに精神と生活に定着し、神仏を祀るのに矛盾を感じなくなり、カトリックへ復活することによって神仏や先祖の位牌を捨てることへの抵抗感。

3、先祖から受け継いだ習慣を放棄すると、罰を受けるのではないかという恐れ。

すなわち土着信仰と混ぜ合わされたことから、すでに個別の信仰形態が定着し祖先から受け継がれたものとして、カトリックへの帰依を必要としないからなのだという。なるほど良くわかる。そっちの方がよほど日本人らしく、他から入って来た文化を自分らの生活に合った形態に変化させるという意味では日本人の知恵がこもっている。

それが「隠れキリシタン」の実情だとすれば、現在のカトリック信者らは「潜伏キリシタン」であって、自分らの信仰形態よりもローマ・カトリックを最優先しているのであって、現在でも「隠れキリシタン」の人々は「カトリックとは違う」と意識している例があるという。

では、そもそもなぜ江戸時代の禁教令で厳しくキリスト教が禁止されたのか、なぜ隠れたり潜伏したりしなければならなかったのか。

それは何度もこのブログで言って来たことなのだが、西欧諸国が他国を侵略し植民地化して虐殺・略奪・奴隷化する方法の手始めとしてまず先にキリスト教の布教者を派遣したことによる。

日本にやって来たフランシスコ・ザビエルにしても、植民地となった台湾から渡って来ている。だから当時の日本人は南米大陸や南太平洋で何が起きていたかを知らなくても、台湾がどうなっているかを知っただけで、キリスト教の宣教師が来るということが何につながって行くかを気付いていた。だから禁止したのであって、当時の幕府政策は非常に適切だった。

まぁ島原の乱の原因は、大阪城で真田幸村と共に戦ったキリシタン大名の有馬晴信の所領だった島原が徳川幕府によって転封され大和五条から派遣された松倉勝家が過酷な年貢の取り立てをおこなったことから始まっている。しかしそれもキリシタン大名の元で地元民にカトリックが広まっていたからであり、キリスト教の危険性が幕府側には良く理解できていたからなのかも知れない。

幕末以前では日本史上最大規模の内戦と定義されている。信者側から見れば、これは重税に苦しんだ農民らが一揆に向かったということになっているが、これを幕府側から見れば信仰を道具にした外部からの侵略に必死に抵抗したということであり、もしこの「島原の乱」の結果が逆になっていた場合、その後の日本はなくなっていたかも知れない。そういった理解が必要になる。

南米大陸の人々がスペイン語かポルトガル語を話しているのとそっくり同じことが日本でも起きていた可能性はあるのであって、一揆軍への徹底した皆殺し策にはそうした理由があったものと考えられる。被害者の主張だけを声高に叫ぶのは、近年のどこかの民族と重なって見えて来る。

幕府がキリスト教を禁じた政策は、私は正しい選択だったと考えているし、明治になって富国強兵をして外国からの侵略に備える準備ができたからこそ禁教令が廃止されたことも納得できる。

例えが不適切かも知れないが、きれいにメイクした女が優しげな言葉を口にしている裏で、どんなあくどい計画を練っているか、まあそういうことだ。冷静で頭が切れる男であれば、そんな悪女に騙されることなく叩き出してしまうだろう。それが島原の乱だったのかも知れない。

もし長崎がキリスト教の関連施設を世界遺産にしたいと言うのであれば、禁教令が何であったのかをまず先に追求し人々の理解を深める努力を始めなければならない。

そして熊野古道にも言えることだが、世界遺産に登録されて何がしたいのかということだ。まさか「観光客をいっぱい集めてカネ儲けにつなげたい」などといった不埒なことを企んでいるわけではあるまい。

国宝に指定されてもそうなのだが、簡単には修理も建て替えもできなくなるのが重要文化財なのだ。

むしろ釧路湿原のように立ち入り規制をして、保全に役立てなければならない。つまり五島列島などの教会群が世界遺産に登録されたなら、保全のために立ち入り禁止をしなくてはならなくなり、礼拝堂としての機能を放棄する必要さえ出て来ることになる。

すでに長崎は軍艦島を含む明治日本の産業革命遺産をユネスコに登録させた。しかし荒れ果てた軍艦島を保存管理することは容易ではなくて、海水の浸食で護岸はボロボロになっており、長崎市の予算では維持が困難だと言われている。長崎市民は軍艦島の登録にもろ手を挙げて喜んだが、市民税のほとんどを注ぎ込むことになろうとは思ってもみなかったはずだ。こんなバカげたこともない。

隠れキリシタンを語る以上は禁教令の是非は避けて通ることができない。その先に世界遺産登録の論議になって行くのだが、ではその目的は何なのかということだ。何がしたくて登録申請をするのかという疑問である。

まさか民間宗教施設の維持管理費を公金で補助して欲しいという理由はないだろうか。

韓国に持ち去られたままになっている対馬の観音像だが、あれも重要文化財になっている。

韓国の寺が所有権を主張するために、古い歴史の解釈から始めている。ならば、長崎のカトリックの人々もまた、江戸時代の禁教令がどのような理由で始まったのかをつまびらかにする必要が出ている。

エルサレムから広がったはずのキリスト教が、なぜローマに総本山を置いてカトリックになったのかも説明してほしい。



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