軍事クーデター

盧泰愚(ノ・テウ)という韓国の大統領がいた。第13代大統領であり、同国最後の軍人出身の大統領だった。

日本統治時代の大邱(テグ)に生れ、朝鮮戦争勃発にともない入隊、陸軍士官学校から空輸特戦旅団、第9師団などの長となった。

第9師団長在任中に、士官学校の同期だった全斗煥(チョン・ドファン)らと一心会を結成し粛軍クーデターなる軍内部の反乱を起こす。

この事件は第5代から第9代までの大統領を務めた朴正煕(パク・チョンヒ)が1979年10月26日に、側近だった中央情報部の部長にして陸軍中将の金載圭(キム・ジェギュ)によって射殺され、当時の国務総理だった崔圭夏(チェ・ギュハ)が大統領権限代行に就任し同年12月の統一国民会議代議員による選挙で第10代大統領に選出された。崔は憲法改正の意思を表明し朴政権時代の政治犯68名を釈放するとともに、、自宅軟禁中の金大中(キム・デジュン)を開放した。このことによって韓国国内には「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが広がっていた。一方で大統領暗殺事件の捜査において戒厳司令官と合同捜査本部長(全斗煥陸軍少将)が対立し、一心会が軍中枢部から排除されかかったことから逆に暗殺事件への関与容疑で戒厳司令官を逮捕する。しかし崔大統領権限代行はこれを認めず全斗煥の部隊でもある第1空輸(空挺)旅団によって国防部や陸軍本部などが占拠され銃撃戦を含む内戦寸前に陥った。そうした背景を持つ事件である。

崔大統領権限代行は軍部によるクーデターを受け入れようとはしなかったが崔は軍部を掌握しておらず、一心会を中心とする反乱を黙認せざるを得ず、ここに全斗煥や盧泰愚らによる実権掌握が実現することになる。この粛軍クーデターは翌年(1980年)5月の光州事件へと発展する。民主化を要求する学生デモ隊に向けて軍兵士が発砲した事件である。

朴正煕大統領が敷いていた軍事政権が暗殺という方法で幕を閉じると、崔大統領権限代行が民主化を押しすすめ、朴政権時代に似た軍部独裁を志向する将校らによって崔は辞任させられる。非常戒厳令が全国へ拡大したことを受けて立ち上がった学生デモである光州事件で武力弾圧を断行し、実権を握った全斗煥が第11代大統領になる。

この全斗煥政権が成立した1980年の10月に憲法改正を問う国民投票が実施され、9割以上の賛成を受けて10月27日に新憲法が公布され、第4共和国体制は終わる。第4共和国とは現代韓国史を憲法で区分した一時期であり、朴正煕時代の後半を指す。ここでは大統領の任期6年と、重任制限の撤廃(すなわち何年でも何度でも大統領職に就くことができる)を旨とする憲法改正案が出され、国民投票で9割以上の賛成票で成立したものだった。

つまり国民の9割以上の賛成票で成立した第4共和国体制は、国民の9割以上の賛成によって新憲法が可決されて終わりを迎える。何とも不思議な国民ではある。

この1980年10月の改正では憲法条文が全面的に改訂され、1948年7月に大韓民国憲法として制定されたあとの八回目の改正であり、第五共和国憲法とされた。この改正では大統領任期は7年単任制となったため、次の選挙は1987年である。

1988年9月に予定されていたソウルオリンピックの組織委員長として実務全般を取り仕切っていたのが盧泰愚であり、高まりつつあった民主化要求に対し「オリンピック終了後にしかるべき手段で信を問う」との声明を出したことを民衆が高く評価し、1987年の大統領選挙に勝利する。

盧泰愚大統領は第9次となる改憲を宣言し、1987年10月の国民投票で確定した第九次憲法改正(第六共和国憲法)は翌年の1988年2月に施行され、これが現在の韓国憲法として機能している。

1948年に制定された憲法がすでに9回も改正されて現在に至っている。国民投票で決定するのだから民主的と言えば民主的なのだが、昨年秋から始まった朴槿恵罷免要求デモなどを見ていると、彼ら韓国国民に冷静で適切な判断ができるようには到底思えない。むしろ政権に就いた者ごとに都合の良い憲法に塗り替えられ続けて来た歴史と見るべきだろう。

すなわち韓国では(諸外国でもそうなのかも知れないが)憲法を改正することにはあまり抵抗がないようで、だからこそ次回の大統領選挙でも憲法改正がバリューセットのように付いて来る可能性は十分すぎるほどあるわけだ。

軍人出身者だった盧泰愚は、ソウルオリンピックを成功させる手段として、民主化という「民意迎合」を大統領選挙に利用したのであって、そのことをもって現在の韓国国民が民主主義をおう歌しているがごとき幻想に浸っているが、結局は個々の国民には判断能力がほとんどなく一握りの工作員の誘導によってあっちへ行ったりこっちへ来たりしているだけだ。

これまでの憲法改正に対して9割以上の国民投票の賛意がそれを物語っている。

つまり次回の大統領選挙に誰が当選しようとも、その者が改憲を言い出せば大多数の国民がもろ手を挙げて賛成することは火を見るよりも明らかなことであって、それをして韓国が民主国家だなどとは誰も言えなくなってくる。

本当は日帝時代によって発展したことを認めていても決して口に出せない社会が韓国なのだから、主義主張の議論などは求めることができない。強い者には従う、いわゆる「事大主義」であって、先進国の仲間入りしたと言っている韓国は今も数百年前と同じことをやっているに過ぎない。

だからあらゆることが起こりうる。北寄りの憲法が出来たとしても、軍部がクーデターを起こしたとしても。

これまでの韓国の近代史と昨年から今年にかけての東アジア情勢を見れば、軍事クーデターの可能性は否定できない。あくまでも日米韓の同盟関係を維持しようとする軍部が、みすみす北寄りの政権になるのを黙って見ているかだ。

軍部が共産化を嫌って銃口を市民に向けるとしたら、それは民主化要求の学生デモへの光州事件ではなく、共産主義を恐れた政権が起こした済州島四・三事件と同様だということになる。

済州島で虐殺を恐れた共産主義者らが、日本へ密航して逃れて来た。その出来事が再び繰り返される危険性は十分にあるということだ。

「武装難民」という言葉があるが、仮に避難民に紛れて共産主義者が日本へ渡って来た場合は、武器などを持たなくても十分に「武装」なのである。赤化革命が武力鎮圧された場合、日本に逃げた上で挽回するための騒乱を起こそうと考えるかも知れない。沖縄の高江で起きていることが、そのまま全国へ拡大するだろう。その為の「共謀罪防止法案」でもあるわけだ。対岸の火事では済まされない。

韓国の政治的混乱は文民だけで騒がれているわけではない。軍部が指をくわえて見ているだろうか。私はそうは思えない。





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