「官憲」の正体

Wikipediaによれば「憲兵(けんぺい)とは、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し、主として軍事警察を掌り、兼て行政警察、司法警察も掌る兵科区分の一種」と出ている。要するに軍隊組織の中の警察行為を主任務としているもので、現在の自衛隊の警務官に相当する。

ということは、前線で敵兵と戦闘することを任務としておらず、自軍の兵士の規律違反を監視する役目である。

旧大日本帝国においては朝鮮を併合統治していたが、召集令状によって日本人の男子(兵役検査合格者)を国内外の兵士として徴兵していたことから、前線派兵の必要のない憲兵は主に朝鮮人を採用していた。

憲兵警察制度(けんぺいけいさつせいど)とは、朝鮮総督府が採用した朝鮮総督府警察の制度で、陸軍の憲兵が一般の警察をも兼ねる制度。

朝鮮独立運動の武装蜂起が続いており、一般の警察だけでは治安の維持が難しかったので、ヨーロッパの国家憲兵の制度を参考に創設された。

特に朝鮮における憲兵は警察としての任務も兼ねており、それは治安維持のために言語や文字が使える者の方が都合が良かったためだ。

つまり所属は大日本帝国の陸軍なのだが、実質的な行動は朝鮮地域での警察活動にあった。このことから「官憲等が直接これに加担したこともあった」とされる河野談話の「官憲」の正体がこれではっきりする。朝鮮地域における警察「官」であり「憲」兵だったのは地元採用の朝鮮人だったのである。もちろん日本出身の憲兵もいたはずだが、反日運動を抑制するためには朝鮮語を理解する警察は地元で採用された。

河野談話はウソを言っているのではなく、説明が不足しているわけだ。性交渉の対価として金銭を受け取る職業を「売春婦」と呼ぶが、そうした苦界にみずから進んで堕ちて行く者は少なかっただろうし、女衒のような民間の商売人が警察とグルになって素人女を騙して連れて行ったケースも多々あっただろうことは想像に難くない。それをもってして「官憲が加担した」と言っても、それが日本人だとは断定していない。

なぜ今頃になって「ナヌムの家」のお婆さんらが騒いでいるのかと言うと、性交渉の対価を軍票で受け取った場合がほとんどで、戦後は紙くずになっていた。日本兵は徴兵とは言っても給料は支払われていたのであって、それが軍票だった。そのなけなしの給料からこつこつ貯めて、外出が許された日に、月に1度ほど慰安所に出向いたという証言は確かにある。慰安婦が大金を稼いで実家に送金していたという話も残っている。ただ、それらのお金が日本銀行券ではなく軍票だったというだけのことで、敗戦で日本軍が解体された時点で通貨としての効力を失った。

だから「強制連行された賠償をせよ」と言っているのではなく、正確には「体を売って稼いだお金を保障せよ」と言っているだけだ。騙し騙された人々はことごとく朝鮮人なのであって、日本人は客として登場したに過ぎない。それも年若い青年が故郷から連れて来られて、恋愛経験もないような中で戦地に派兵されたのだから、慰安婦との間に恋心が芽生えるケースも少なくなかったという。

「わたし、騙されて連れて来られたのよ」「そりゃ可哀想にな」そんな会話があったはずだ。「戦争が終わったら、いっしょに日本へ行こう」と言ったかも知れない。

「お馴染みさん」「常連さん」ができた慰安婦たちは、相手の移動について行った可能性が高く、中国奥地まで行ったかも知れない。少なくとも満州地区はもともと朝鮮族が多い土地であり、風土的にも違和感はなかったはずだ。




ここに1999年3月6日の産経新聞の記事がある。記者は黒田勝弘氏である。引用してみたい。

(引用ここから)

【ソウル5日=黒田勝弘】卒業式の「日の丸・君が代」問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が毎年、生徒を修学旅行で韓国に送り、ソウル市内にある独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていたことが明らかになった。五日付の韓国日報が社会面トップ記事で伝えたもので、記事には、生徒たちが市民の前でひざを折り、頭を垂れている写真が添えられ、案内を担当した年配の韓国人通訳の「生徒たちのまじめな表情に感動した」という感想も紹介されている。

韓国日報は県立世羅高校の生徒たちが三・一独立運動記念塔前で謝罪した、と報じた=平成10年10月16日、ソウルのタップコル公園(韓国日報提供)

韓国日報は「“キミガヨ”で悩みの校長の教え子たち」「5年前からタップコル公園で“謝罪の参拝”」という見出しで、昨年十月十六日の様子を詳しく報じている。

それによると、「世羅高校の男女生徒約二百人は昨年十月十六日午後四時、タップコル公園の三・一(独立)運動記念塔前でひざを折って座り、日帝侵略と植民地蛮行を謝罪する文章を朗読した。一部生徒はハングル(韓国の固有文字)を学び、謝罪とともに両国の和解を訴えるプラカードを日本で作って持ってきた」という。さらに「公園での謝罪儀礼は犠牲者に対する黙とうと班長のあいさつ、謝罪文朗読、日本から持ってきた平和を望む折りづる献呈、公園内の史跡訪問などとなっていた」としている。

タップコル公園はソウルの中心街にあり、これまではパゴダ公園といわれた。日本統治時代初期の一九一九(大正八)年三月一日、大規模な抗日独立運動のスタートになったところで、記念塔などの施設があり、市民の憩いの場になっている。

世羅高校修学旅行団を案内した劉載晃氏(七九)は記事の中で「これまで五年間、“謝罪修学旅行”を許可してきた校長先生が、日帝軍国主義の象徴である日章旗掲揚や君が代斉唱に反対する教師たちと教育委員会の間で悩んだ末に自殺を選んだのだろう」と語っている。

また「謝罪修学旅行を送り出してきた石川(敏浩)校長は、教育委員会の指示を拒否することも、自身の良心に反する行動も難しいという葛藤(かっとう)を味わったことだろう」という記者の見方が書かれている。

近年、日本の高校生の韓国への修学旅行は増え、年間数万人にのぼる。旅行先は古都の慶州などの史跡のほか、独立記念館など歴史がらみのところが多い。

◇ 高橋史朗・明星大教授の話 「過去の立場を超えて戦争犠牲者を慰霊するなら良いことだが、条約に基づいて日本が朝鮮半島を統治したことの非のみを一方的に謝罪する行為は、かえって国際的な信頼や友好を妨げる。本当の和解とは、言うべきことを言い合って築かれるものだからだ。日本の一部の教師たちが持つ思い込みや非常識さが、この修学旅行のような広島県の異常な教育の背景にある」

(引用ここまで)



これは「国旗国歌問題」の折衝において、教員組合と教育委員会との板挟みになった校長が自殺したというものだが、何故かこれに部落解放同盟の名前が出て来る。それと同時に世羅高校の修学旅行生が韓国の公園で謝罪させられていたというものである。いわゆる「日帝侵略」と「植民地支配による搾取」についてである。それを高校生に謝らせて何の得があるのだろう。ただの「腹いせ」でしかなく、それも「事実無根のでっち上げ」だった可能性が高い。

智弁学園高校とかの名前も挙がって来ている。

謝るべきものは謝るにためらいがあってはならない。しかしこのケースの場合は、本当に謝るべき事柄なのだろうかという疑問がある。宮沢総理、村山総理、河野官房長官などが不用意に謝り過ぎた結果がこのような未来を招き寄せたのであって、現在の韓国経済の危機的状態も彼ら日本の無責任な政治家の負の業績の結果なのかも知れない。

広島の公立学校と言えばすぐに思い出すのが府中町立緑ヶ丘中学校で起きた生徒の自殺問題だ。万引き生徒の指導データが間違って残されていて高校への推薦が受けられなかったとして生徒が自殺したのが2015年12月。

この問題は当時全国的に騒がれた事件だったが、その後の追跡取材は聞こえて来ない。

広島の教育界はどこかいびつなねじれ方をしているのだろうか。



河野洋平氏に逢うことができたら、聞いてみたいことがある。

「あなたが言う『官憲』って、いったい誰のことを指している?」





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