ユダヤとイスラエルの成り立ち

本日の東京新聞朝刊にこんな記事が出ていました。

(引用ここから)
パレスチナ自治区ガザでイスラエルが軍事作戦を開始して1か月超、死者は約二千人とされる。争いが続く両者。その双方の高校生でつくる混声合唱団「エルサレム・ユース・コーラス」が来日し、十八、十九の両日、東京都内で公演する。初の海外公演で、「平和主義」を掲げる日本から世界へ祈りの歌を響かせる。 (石井紀代美)
音楽を通じて平和を目指す活動をしているユダヤ系米国人マイカ・ヘンドラーさん(25)が二〇一二年、イスラエルのエルサレムで設立。
ユダヤ人とパレスチナ人が東西に分かれて住むエルサレムで、十回のコンサートを開いてきた。
メンバーは約三十人。
ヘンドラーさんによると、高校生らは家庭や学校で互いを「悪い人ばかりだ」と教えられて育った。参加当初は敵同士と思ったが、音楽を通じ理解してみると「聞いていることと違う。みんないい人」だった。
ベントラーさんの知人らが五月、日本に招くための実行委を発足。
関係者によると、メンバーも「国際紛争に加担せず平和を貫いてきた日本こそ、初の海外公演にふさわしい」と応じた。

公演ではイスラエルとパレスチナの伝統的な歌や、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」を披露。都内を中心に活動するバンド「ジンタらムータ」もゲスト出演する。
リーダーの大熊ワタルさん(54)=東京都小金井市=は十年ほど前、ヨルダンの難民キャンプで演奏したことがある。「当事者同士が合唱で声を合わせることで同じ人間なんだと気づき、分断や敵意を乗り越えて」とエールを送る。
(引用ここまで)

第一次世界大戦が勃発したのは1914年の夏のことでした。
その参戦国とは一方がイギリス・フランス・ロシアであり、もう一方がドイツ・ハンガリー・トルコでした。
もっとも脅威だったのはドイツの潜水艦であり、北大西洋の制海権を独占してしまったことからイギリス軍の補給路は絶たれ、弾薬はもとより食糧補給も途絶えました。すなわちイギリス軍を苦しめたのは戦闘によるものではなく飢餓だったのです。
フランス軍にも混乱が起きていて、ベルダンの守備戦ではフランス兵士の約60万人が戦死しました。
ロシア軍は逃亡です。彼らは皇帝のために命を投げ出す考えがもともとありませんでした。
イタリア軍も崩壊しました。
ドイツは自国へは1発の砲弾も撃ち込ませず、1人の敵兵もドイツ国内に踏み込むことができませんでした。

ドイツはイギリスに和平条項を持ち掛けます。
その内容は「旧状を保持する」というもので、「戦争をやめてすべてを戦争以前の状態に戻す」という意味でした。
この和平条項が出されたのは、開戦からわずか2年後の1916年のことでした。
イギリスは真剣にこの和平交渉を検討します。ドイツの寛大なる提案を受け入れるか、もしくは勝敗がすでに明らかになっている敗北状態の戦争を継続するかどちらかだったのです。

一方、開戦の7年前にオーストリアのバーゼルで第一回シオニスト会議が開かれています。すなわちユダヤ人の国家建設を目指し諸外国に承認させる運動のことです。
ドイツとイギリスの間で和平交渉が進められている中、ドイツ国内のシオニストらが東ヨーロッパのユダヤ人を代表するかたちでイギリスを訪問します。
ロンドンにやって来た彼らはイギリス政府に対して何と言ったのか。
「この戦争にはまだ勝つ可能性があります。諦める必要はありません。ドイツから提案された和平交渉を受け入れる必要はありません。アメリカが同盟国として出てくれば勝利することができます。」

アメリカはまだ参戦していませんでした。
彼らシオニストの代表はイギリス政府へ言いました。
「イギリスの同盟国としてアメリカを参戦させることを保証しましょう。その見返りに、勝利の後われわれにパレスチナを与えると約束してください。」
イギリスはパレスチナという正式な国家を差し出すなどといった約束をする権利など無いに決まっているし、それは誰が見てもそうだったのですが、戦況があまりにも悲観的だったイギリス政府はこの申し出に応じてしまいます。1916年9月のことでした。
当時のアメリカは親ドイツでした。
アメリカはすでにユダヤの支配下に置かれていて、新聞などのメディアも金融業界もすべてユダヤに握れらており、彼らユダヤは帝政ロシアが大嫌いだったのです。
だからユダヤ資本はドイツに注ぎ込まれていてロシアを攻めさせる一方で、フランス・イギリスには資金を投入して来ませんでした。
そのアメリカのユダヤ資本は、パレスチナを得る可能性があるとシオニスト団体から聞かされた途端に手のひらを返します。
アメリカ国内のすべての新聞が、イギリスと戦っているドイツ国民は苦境にあると訴え、ドイツ政府を悪者に仕立て上げたわけです。
ありとあらゆるドイツ軍の残虐行為を書き立て、アメリカ国民の民意を操作することで厭戦ムードから参戦ムードへと上手に誘導したわけでした。
ウイルソン大統領がドイツに宣戦布告するまで時間はかかりませんでした。
つまりアメリカが参戦するという行為は、アメリカ国民にとって必要なものではなく、すべてはユダヤ・シオニストの集団の利益でしかありませんでした。
十中八九負けていたイギリスにとっても、フレッシュで産業力のあるアメリカが参戦してくれれば勝てるかも知れないという夢があったのであり、その見返りが口出す権利もないパレスチナという国のことだったのです。

アメリカの歴史教科書では絶対に教えていない参戦までの経緯なので、このことを信じないだけではなく完全否定する欧米人は少なくないでしょう。

ウイルソン大統領によってアメリカが参戦したことを受けてシオニストらは再びイギリスを訪問します。
「我々は契約の一部を果たしました。あなた方がこの戦争に勝利した後にはパレスチナを我々に与えるという契約の維持を確認しましょう。」
この確認作業のことを「バルフォア宣言」と呼びます。
アメリカを参戦させる対価としてシオニストに合意していたものをイギリスが支払うといった内容でした。
欧米社会はローマ時代の頃から契約によって成り立って来た社会なので、この契約も一見適切なもののように見えるのですが、イギリスがパレスチナを譲渡するという契約が有効なものであるはずがなくて、完全なイカサマでしかありませんでした。

アメリカの参戦を受けて戦況は逆転しドイツは敗北します。
パリ講和会議が開かれたのは1919年でした。
ここには重大な背景があって、スペイン風邪と呼ばれた世界的に流行したインフルエンザのパンデミックが第一次世界大戦の終結を早めたとされています。
戦場で戦死する兵士よりもインフルエンザで病死する兵士の方が多かったと言われています。
なぜスペイン風邪と呼ばれるようになったのかは流行の情報の第一報がスペイン発だったためで、実際の発生源はアメリカのデトロイトおよびカロライナ付近だったというのが真相でした。
1918年3月に発生したインフルエンザは、同年6月には毒性の強い感染爆発へと発展している。

アメリカがドイツへ対して宣戦布告をしたのは1917年4月6日のことでしたが、その翌年にアメリカ国内で「スペイン風邪」のパンデミックが発生したわけです。
だからヨーロッパ戦線にインフルエンザウイルスを持ち込んだのはアメリカ軍だった可能性が高いのであって、世界的流行拡大に兵士の輸送という行為が一役買ったかも知れないのです。

一方のロシアはニコライ2世が皇帝の座に就いていましたがヨーロッパ戦線の視察に熱心なあまり内政問題を任されていた皇后のアレクサンドラは国内政治を怪僧グレゴリー・ラスプーチンに一任します。
これに対する批判が各方面から起こり、1916年にラスプーチンは暗殺されることになって、これがロシア革命の引き金になります。
つまりドイツ連合と戦っているイギリスは孤立無援だったわけであり、アメリカを連れて来るというシオニストの提案は地獄に仏だったわけ。だからパレスチナなどという権利のない国の譲渡であってもホイホイと乗るしか道は残されていませんでした。
シオニストにとったらアメリカを参戦させたところで、終戦まで何年かかるかわからない。イギリスが勝利しない限りパレスチナは手に入らない。だからアメリカを参戦させたら早期に決着をつける必要があった。

ここから先は私の個人的な推測ですが、インフルエンザを拡大させたのはアメリカのユダヤグループではなかったか、という疑惑です。
定説となっているものでは、カナダの鴨のウイルスが渡りによってイリノイ州の豚に感染したとの推定がアメリカ疾病予防管理センター(CDC)の検討小委員会から説明されています。
だから発生源は明らかにアメリカ。
その後感染爆発が起き、その保菌者がヨーロッパ戦線に送り込まれた。そのことで戦場に感染拡大が起きた。
すなわちアメリカを参戦させなければ、地球規模のパンデミックは起こらなかったかも知れないという意味。つまりはシオニストたちの自分都合で起こったことだという意味です。
早期に終戦に持ち込むには、感染力の強い伝染病の保菌者を戦場に送り込むことが有効な方法だと考えた、という推理、あながち間違っているとは思わないのですが。

さて戦争が終わりパリ講和会議の席上にシオニストらがやってきて「バルフォア宣言」の存在を明かします。
「我々のパレスチナはどうなるんですか?」と。
その時点でドイツ人は初めて気が付きました。すべてはシオニストらの企みごとだったことを。
だからアメリカが参戦し、ドイツは敗北したのだということを。
ドイツは莫大な戦後賠償を負わされることになったのですが、すべてはシオニスト達がパレスチナを欲しかったからだけの理由だったということに気が付いたのです。
それまでユダヤ人達はドイツで、世界中のどこの国でも決してないような平和で良い暮らしを享受していました。
迫害など何ひとつありませんでした。
ユダヤ人はドイツの産業界や金融界で大成功をしていて、莫大な資産形成に成功してもいました。
だからドイツにおけるユダヤ人は、非常に豊かな生活をしていたわけです。
ところがこの「バルフォア宣言」を知らされたドイツ人達は、ユダヤ人による裏切りに激昂することになります。

これらがドイツにおけるユダヤ迫害へとつながって行くことになるのですが、本件のテーマはあくまでもイスラエルとパレスチナの問題なので本論に戻ります。
シオニストらがイスラエル建国に至った裏取り引きは以上のようなことでした。だからイギリス政府が深く関わっていたのであって、パレスチナ問題の責任を取るべきなのは第一にイギリスであることは明白です。
なぜシオニスト達がパレスチナを求めたのかと言うと、当たり前のことですがエルサレムがあるからです。ユダヤ人の国が作られるのであれば地球のどこでも良かった、という意味はまったくないのです。パレスチナでなければならなかった。
ただし20世紀のシオニズム運動が、古代のヘブライ人だとかカナン人だとかそこまで関連付けするのは自己正当化するための言い訳に過ぎず、本当のところ宗教的には無関係な利害争いでしかなかったわけです。
何故ならば現在のイスラエルにはユダヤ教の各派が争い合っていて、正統派(超正統派、現代正統派、新正統派)、保守派、伝統派、サバタイ派、改革派、再建派、カライ派、フランク派、などといった複雑に分裂している団体の総称でしかありません。
タルムードという経典に従って行動するのがユダヤ教だと知られていますが、これもラビ的ユダヤ教徒に限られるものであって、このタルムードは強烈な選民意識を植え付ける書物です。
タルムードに従って行動を選ぶ場合は確かに世界中の民族からユダヤは迫害されても仕方がないでしょう。それほど強烈な内容の経典です。

それはともかく、パレスチナの人々はユダヤ人によって強制退去させられました。このパレスチナは元々イギリスが委任統治していた地域であり、第一次世界大戦の勃発とともにイギリスはフランス・ロシアを相手にサイクス・ピコ協定を、アラブ人とはフサイン・マクマホン協定を、ユダヤ人とはバルフォア宣言を行いました。これが世に言う「三枚舌外交」です。
イギリスは戦争を有利に運ぶ目的からあちこちに八方美人の甘言を繰り返したのでした。そこから将来の世界の紛争の元を作ってしまった。
そのズルいイギリスを上手く利用したのが、ズル賢いユダヤだったのであり、イギリスは知らない間に世界の不幸の元を一人で背負い込むことになってしまった。
いちばんの犠牲者はパレスチナ人だったわけで、ここにパレスチナ解放機構(PLO)という組織が誕生し、パレスチナ自治政府の母体となりました。
第三次中東戦争でイスラエルは勝利しますが、ヨルダンでの反イスラエル闘争で戦果を挙げていたファタハがPLOに参加。ファタハの指導者だったアラファトがPLO第二議長に就任します。

その後ファタハは数々のテロ事件を起こしヨルダンやレバノンなどに活動拠点を移します。
レバノン戦争の後はチュニジアに移ったりもしています。
1988年11月、「シオニスト国家打倒によるパレスチナ解放」から方向転換を図り「イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのパレスチナ国家建設」を打ち出しパレスチナ国民評議会で独立宣言を採択するまでになりました。

1993年、ノルウェーのオスロにおいてイスラエル政府とPLOの相互承認とガザ地区・ヨルダン川西岸地区におけるパレスチナ人の暫定自治を定めたオスロ合意を締結。
これによりPLOは武装闘争路線を放棄し、アラファト議長はイスラエルのラビン首相とともにノーベル平和賞を受賞。
しかし1995年、ラビン首相は暗殺され「和平粉砕」を掲げるハマスが1993年から自爆テロを開始するに至ります。
つまりパレスチナの指導者はアラファト率いるファタハからハマスに移ったわけであり、平和的に外交を進めようとしたファタハに対してハマスは好戦的な組織だということが言えそうです。
ファタハとハマスは対立する組織であって、ヨルダン川西岸地区はファタハが、ガザ地区はハマスが実効支配をしていました。
ハマスが好戦的であることからロケット攻撃などを繰り返すために、イスラエル軍はガザ地区への軍事侵攻を繰り返して来ました。

2011年4月、ハマスとファタハはカイロにおいて共同会見を開き、対立関係を解消して連立政権を作り総選挙を行うと発表。
イスラエルはこの和解を批判しましたが、国連は好意的に評価しています。
しかしその直後に起きたアラブの春によって反体制デモが拡大するにつけ、ハマスはシーア派であるシリア・イランと距離を置くようになります。
シリアの同盟国であり、ハマスの支援者でもあるイランはこのハマスの行為に批判的な態度を示しましたが、逆にハマスはイスラエルのイラン攻撃に反対しない方針を発表してハマスとイランの関係は断絶します。

つまりイスラム社会にもスンニとシーアという反対勢力の力学が働いているという意味では日本人がなかなか理解できない部分があることになります。
長くなりましたが、イスラエルの建国までの経緯と建国後のパレスチナとの攻防の流れです。
これらがわからないと、欧米のユダヤ社会が何を考え、どのように動いているかということと、ナチスドイツがなぜユダヤ迫害に向かったのかということと、同じPLOでもファタハとハマスの違いがどこにあるかなど、基本的な理解ができないままになります。

そして中東を離れても、ユダヤ社会が世界をどっちに導こうとしているかを見極めておく必要があるように考えます。
そのためにも良きにつけ悪しきにつけ、ユダヤの本質を知ろうとする努力は必要なのかも知れません。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


ご機嫌よう。






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